『宇宙戦艦ヤマト』 石津嵐/豊田有恒:原案
2009年 10月 08日
初版は昭和50年11月10日となってますから、TVシリーズの放送終了から半年ほど経った頃ですね。
自分が持っているのは昭和52年10月5日付の25版。
映画が公開されブームになってる頃に、「おい、小説になってるよ」と友人で回し読みしたことを思い出します。
打ち切りになった無名の作品のノベライズなんて他に前例がないんじゃないかと思いますが、後になって(20年ぐらい経って)単行本2冊を合本して文庫化したことを知り、更にビックリ。単行本はTV放映中に発売されていたんですね。
これは今からは想像も出来ないほど画期的なことで、出版を企画した人も、その企画にゴーサイン出した人も大英断。
「ヤマト」はアニメブームを巻き起こしましたが、それだけじゃなく今日のライトノベル全盛時代の萌芽にもなっていたのです。
お話は、西暦2199年、地球が突如として宇宙からの侵略にさらされるところから始まります。
勿論これがガミラスで、地球は滅亡寸前。そこにイスカンダルからの使者が訪れ、そこに一縷の望みを託し、宇宙戦艦に改造された旧日本軍の戦艦大和が出発する、という件は概ね同じ。そこに至るまでに、大国同士のエゴの剥き出しがあってなかなか足並みが揃わない、というのは新味でしょうか。
乗組員も艦長の沖田十三をはじめ、古代ススム、島大助、真田佐助、徳川彦佐衛門、森雪、佐渡酒造、加藤三郎ら、若干名前の違う人もいますがお馴染みの顔触れですし、ガミラスの総統デスラー、イスカンダルのスターシャ、サーシャも同じ。そして謎の男(?)キャプテン・ハーロックも出て来ます。
ただ、おんなじなのはここまで。
そこからは、熱心な「ヤマト」ファンであればあるほど驚愕の展開が待ち構えています。
戦闘らしい戦闘の描写が殆どないのが特徴ですが、乗組員はバタバタと死んでいきますし、メインキャラクターにも容赦ない運命が訪れますし、イスカンダルとガミラスの謎、地球人類を救う方法などなど、アニメ版とは全く異なるストーリーが繰り広げられます。
元ネタは企画書などの没プロットみたいですが、実質的には石津嵐オリジナルと呼んでも差し支えないそうです。
まぁ古くからの「ヤマト」ファンならばストーリーご存知の方も多いでしょうし、ネットで検索すればストーリー紹介もされてますが(ちなみに当サイト内の「栞をはさんで・・・」でも簡単に紹介してます)、今回は敢えてボカしておきましょう。ご存じない方は、古書店やネットオークションなどで見かけたらチェックしておくことをお勧めします。実際に購入するしない、読む読まないはご自由ですが、「ヤマト」ファンを自任される方ならば一度は目を通しておいて損はないかと。
サスペンス要素も盛り込まれ、人によってはアニメ版以上にSFらしいと評価されるかも知れません。
この作品を切っ掛けに、同じソノラマ文庫に入っていた石津嵐の『宇宙潜航艇ゼロ』や『宇宙海賊船シャーク』も当時読みましたが、第二、第三の「ヤマト」を期待したものでちょっと肩透かし。でもこうやって「ヤマト」を久々に読み直してみると、これらの作品も懐かしいですね。
また読んでみたいんですが、こっちは随分前に手放しちゃったんだよなぁ・・・。
それはさておき、アニメのヤマトと比較するから何か違和感があったりするわけですが、作品そのものはオーソドックスなスペースオペラで、お話としてはなかなか魅力的ですね。
ただ、ヤマトの時代から見ても(ジュブナイル風の構成を意識した故か)作風が古いんですよね。アニメのヤマトの魅力というのは、極力古い冒険科学小説のイメージから抜けた、洗練されたスマートさにあったと思うんですが、それとは正反対の方向性ですね。
<クラッシャージョウ>然り、<吸血鬼ハンターD>然り、<ガンダム>然り・・・。
高垣瞳の『熱血小説 宇宙戦艦ヤマト』も、色々な意味で凄い小説ですがね。
2種類あって、最初に出たのがハードカバーの『ギャラクティカ』で、後にソフトカバーの『ギャラクチカ』として発売しなおされています。
ま、劇場公開時には『ギャラクティカ』で上映され、その後に日本テレビでシリーズを放送する際に『ギャラクチカ』に変更したかfら、それに合わせたんでしょうけど。
TV版は吹替えが ささきいさお&富山敬コンビでしたね。明らかに「ヤマト」ファン層を狙ってます。
結局2話か3話ぐらいしか観てませんけど。