『さよならジュピター』(1983)
2012年 01月 02日
これに、「自然のままに」と唱える反対勢力の登場、敵対するヒーロー、ヒロインの悲恋、宇宙人の古代文明?等々の要素をてんこ盛りしています。
昨年小松左京の訃報が届いた時に追悼としてこの作品を見直してみようかなあ、などと考えてみたものの、一歩踏み出す勇気がなくて延び延びにしちゃってました。
この作品に対する小松左京の力の入れ具合は凄まじく、豊田有恒とか、田中光二とか、野田昌宏とか、伊藤典夫とか、山田正紀とか、横田順彌とか、高千穂遙とか日本のSF作家を沢山集めてブレーンストーミングを実施。
原作小説を執筆し、脚本も書き、自ら映画製作のための会社を興し、総監督も務めるというハッスルぶりでした。
その頃のニュースにはワクワクさせられたものでしたが、出来上がった映画は、ちっちゃな袋にあれもこれもと詰め込んだら、穴が空いて中身がボロボロこぼれちゃった、といった塩梅の残念なものになってます。
「太古の昔に宇宙人=太陽系外文明が訪れていた?!」という話は、結局「どうもそうらしいね、よくわかんないけど」で終わっちゃうし、その時の宇宙船だか謎の生命体だからしい”ジュピターゴースト”も、クジラの声で唄うだけ。
宇宙船だとするなら10万年前からずーっと木星に潜んでる理由がわかんないし、生命体だとしても都合の良い”木星の代弁者”、擬人化でしかなく、その真意は誰にもわかりません。主人公は自分たちに都合良く解釈してましたけど。
科学文明の対比として出てくる「ジュピター教団」はただのヒッピーの集団だし、その中の過激派の連中は「木星を破壊しちゃイカン!」と命懸けで妨害しに来るけれども、それじゃあ地球が、人類が全滅しても良いのか?という疑問を抱かないようだし、そのメンバーの中に数年ぶりで会った幼なじみ(恋人未満なのかな)がいたからって、いきなり寝るか、普通? しかも取り調べと称して個室に連れ込むなんざ、職権乱用じゃありませんかね。まあ、ここで描かれる無重力SEXシーンが、セールスポイントの一つだったのですが。
公開当時に映画館に見に行っているのですが、当時のメモを見ても「音楽と特撮以外、取り立てて語るべき点はない」と書いてあります。
その特撮シーンも、川北監督の頑張りは評価しますが、多分に『2001年宇宙の旅』を意識し過ぎで、もっとオリジナリティで勝負して欲しかったですね。このあたりは原作者兼総監督の意向なのかしらん。SF的小道具の数々も、一つ一つは魅力的でも劇中で活かされているものが殆どないのはねぇ。
音楽は・・・これは流石にハネケンです。素晴らしいです。でもユーミンの主題歌は微妙でしたが(もっと微妙なのは杉田二郎が歌う挿入歌の方ですね、やっぱり)。
恐れていたほどではなかったですが、苦痛とは言いませんが、見直すには気力・体力がいりましたね。
公開の翌年にTV放映されていますが、その時には130分近い大作をバサバサ刈り込んで92分でオンエアー。そちらはなかなかテンポが良く、それなりに愉しんだ記憶がありますが、DVDにもその再編集版を搭載して欲しかったなあと思ったりして。
なおこの作品、三浦友和、小野みゆき、平田昭彦(遺作!)、岡田真澄、森繁久彌など著名な日本人俳優と、ディアンヌ・ダンジェリー、レイチェル・ヒューゲット、ウィリアム・M・タピアなど知らない外国人との混成チームですが、その中で天才少年を演じていたのがマーク・パンソナという人。後のglobeのメンバー、マーク・パンサーその人だというのは結構有名な話なんでしょうか。自分は数年前まで知りませんでしたけどね。