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『宇宙からの帰還』(1985)

愛読書である立花隆の『宇宙からの帰還』を原作とする映画版は、ひたすら睡魔が襲ってくるという脱力系映画になってしまっていた・・・。
原作で中心を成している哲学や宗教的なテーマ、神の問題はサラっと流されているし、宇宙飛行士たちへのインタビュー映像を除くと、後は殆どがアポロ計画などの記録映像ばかり。本物の持つ迫力という点をスタッフは強調していたが、新鮮味は全くないのだ。
確かに原作に忠実に映画化するとなると、全篇ひたすらインタビュー映像だらけになりかねないのではあるが・・・。

以下は「しねま宝島」からの転載。『宇宙からの帰還』(1985)_e0033570_11263485.jpg
  ×  ×  ×  ×
はじめて見た時は殆ど予備知識なしで見た。立花隆の著書『宇宙からの帰還』の存在は知っていたが、読んではいなかった。見ていてただひたすら眠くなった・・・。
その後ようやっと購入して読了。強烈なインパクトを受け、二度三度と再読し改めてこの作品を見た。
何か違った発見があるかと期待して。しかし・・・眠くなっただけだった。

映像は単調である。ただフィルムを繋いだだけのドキュメンタリー。「生の映像は迫力がある」はずだ、という思い込みから何の手も加えずに、である。これだけSFXがもてはやされ、観客の目が肥えているこのご時世に。そしてイージーリスニングに徹しているBGM。伊武雅刀の淡々としたナレーション。眠れない夜のBGVとしてはいいかも知れないが、勝負どころは映画館なのである。この製作意図は如何に・・・?

原作『宇宙からの帰還』は、今でも毎年一回は読み返すほどの愛読書である。その映画化作品が何故にそれほどまでに退屈なのか。イメージを想起させる文章と、直接表現する映像という分野(ジャンル)の差がそうさせるのか? 否、そうではあるまい。

原作のポイントは地球から飛立った宇宙飛行士の、常人とは異なる特殊な体験をなんとか追体験しようという試みがなされていることにある。だから宇宙への「旅立ち」とでもつけるべき題名が宇宙からの「帰還」になっており、地球を離れた少数の人々が、その特殊な環境下でどのような内的なインパクトを受けたのかの考察に焦点が当てられ、宇宙から「帰還」した宇宙飛行士への徹底的なインタビューによって、個々の体験を点描する構成になっている。ところが映画はどうだろうか。宇宙飛行士へのインタビューはあるものの、それはメインではない。画面に登場するのはロケットの打ち上げとか、宇宙遊泳とか、月面の歩行とかといった見なれたフィルムばかり。そこには宇宙体験の精神的・内面的インパクトを窺がえるものは何もない。要は原作と映画は全くの別物であるということだ。そして私が望んでいるのは原作で表現された部分であり、それがスッポリと欠落している映画には全く魅力を感じないというわけなのである。

製作準備期間の少なさ、スタッフのゴタゴタ、監督に予定されていた森谷司郎の急逝・・・・当初の意図と違った方向へ行ってしまったであろうことは想像に難くない。しかしそれも全ては言い訳になってしまう。根本的にこの企画そのものが『ライトスタッフ』のあやかり企画ではなかったのか、どうか。製作者側はもう一度企画立ち上りの経緯を見つめなおして欲しい。

by odin2099 | 2006-05-25 06:04 |  映画感想<ア行> | Trackback | Comments(0)

「きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感触を、筆に写してたれにか見せん」(森鴎外『舞姫』) HNは”Excalibur(エクスカリバー)”


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