『大ヤマト零号/Vol.1 発進編』
2009年 04月 24日
というわけで(どういうわけ?)、今度は『大ヤマト零号』です。
いやー、この作品も紆余曲折ありましたなぁ。
この作品について語るには、まずその紆余曲折から説明しなきゃいけないと思いますので、かいつまんで説明すると…?
あ、アニメ作品としてよりも、「大ヤマト」はパチンコや中古車メーカーのキャラとして、一部には知られる存在になってましたっけ。
しかしながらこの『大ヤマト零号』、わざわざこんな注釈が付いてます。
「今回発売される「大ヤマト零号」は、オリジナルビデオアニメーション用に松本零士先生によって創作され、(株)ベンチャーソフト社が新たに製作したSFスペクタクル巨編であり、テレビアニメーションシリーズ予定の「大銀河シリーズ 大ヤマト編 7 VS. 7」とは異なる設定となっております。こちらも現在企画進行中ですのでお楽しみにお待ちください。尚、上記2作品は共に「宇宙戦艦ヤマト」と関連する作品ではありません。」…おいおい。
先に発表されてた『大銀河』のお話は、正にこの作品と同じなんですけど、そうすると何かい?また一から設定を作りなおして別に『大銀河』を作ろうっていうんですかね。
そして決定的なのが、大ヤマト零号のテーマ曲として使われているのが、「ファイナルヤマト・斗い」のメロディーをCD『交響組曲 新宇宙戦艦ヤマト』のために再録音したものだということ。
他にもこの『交響組曲 新ヤマト』から音源が流用されてますし、極言すればこの作品、『宇宙戦艦ヤマト』の変則的なリメイク作品だと言い切っても良いんじゃないのかね。
色々と「大人の事情」というヤツが幅を利かせているんでしょうが、ウソはいかんよなぁ、ウソは。
ただ、製作事情は何であれ、やっぱり楽しめちゃうんです、作品は。
キャラクターはやったらに多いし、皆さん何らかのワケありの過去を持ってるようだし、物語の背景設定や世界観、シチュエーションの説明が殆どなく、松本作品特有の「今にわかる」的なセリフが多いので(大概はいつになってもわからないか、さもなきゃその設定はなかったことにされてしまいますが…)、一度観ただけじゃチンプンカンプンなのですが(というか、何度観てもわかんなかったりするんですけど、それは素人さんが書いたと思しきシナリオの問題かと思います)、それでも「ヤマト」とも他の松本作品とも違う、その中間みたいな雰囲気は嫌いじゃありません。
ちなみに現在出ているBOX版では、製作会社が解散して権利関係が移転した影響もあるのでしょうが、オープニングとエンディングが別のものに差し替えられています(クレジット表記も)。
わたしはあとづけのヤマト関連はエクスカリバーさんの記事でしか知らないんですが、昨年暮れにどっか出掛けたとき、ガソリンスタンドで円盤体合成型の変なヤマトのでかい看板を観て、その場にくずれそうになりました。
まさに orz...
情けないというか、哀しすぎますよ。永井一郎さんの声で佐渡先生が「すまんっっ。本当にすまんっっ」と地球のために闘った英霊達に詫びてるような気分になってしまいました。
最初のヤマトも松本センセにも関心ありすぎなんで、お願いやからもうやめて…と泣きたい気分です。辛すぎる。
そうか、「ヤマト車検」ってまだあったんだ・・・。
逆にこの作品、正々堂々と「ヤマト」の続編(というか、世界観を共有した新作)だと宣言していたら、諸手を挙げて歓迎したかも知れません。
それならば「ヤマト」という名前を冠した理由も、デザインの類似も一応は納得いきますから。
また作品自体を認めてないわけでもないのです。
ただただ「無関係だ」としらを切る態度が許せないってことで。
ホント、哀しくなります。。。