『東京オリンピック』(1965)
2009年 10月 05日
東京は落選!
でも「やっぱりね」という感じです。
小生、東京都民ではございますが、東京でやる必要性・必然性というのは特に感じないし、都知事の単なる自己満足、スタンドプレーにしか思えなかったから(公表されてるだけで150億円と言われてる招致活動費、丸っきりの無駄金になっちゃいましたけど、その分を福祉とか医療にでも回した方が良かったんじゃないの?)、正直ほっとしたという気分もあります。
それに去年の北京大会の開会式・閉会式なんかを見ちゃうと、日本じゃどうなんだろ?という疑問も湧きあがって来ます。札幌五輪は覚えてないけど、長野はしょぼかったなー、という印象しかないもので。
ただこれが、当初の候補地の一つだった九州だったら素直に応援したでしょうね。
次の2020年に再度東京が立候補する、という話もあるみたいですが、やめてくれ。むしろ九州でチャレンジして欲しいです。

いきなりビル取り壊しの映像から始まるのでアレアレと思いながら観ていると、これが国立競技場の全景へと変わり、ギリシャでの聖火の採火から各国での聖火リレー、続々と来日する各国選手団、そして開会式の入場行進、聖火の点灯と続いて競技の模様へと移ります。
で、肝心の競技の模様なんですが、これは現在のTV中継を見慣れた目には何ともまだるっこしいもの。
陸上競技ではスピード感や選手の躍動感がまるで感じられないし、球技ではカメラがボールを追い切れていません。
それにクローズアップやスローモーションを使い、フレームを切り取ってフィルムに定着させる行為は、競技の迫真性を著しく損なってしまっています。
簡単に言うと全てが作り物めいて見えてしまい、せっかくの選手の偉業が嘘っぽく見えてしまうのです。
新興国からたった一人で参加している選手にスポットを当て、選手村での様子や練習風景を見せる場面もあるのですが、全体の構成からは浮いてますし、これならば大会終了後にNHKなどで放送される名場面集や総集編の方が遥かに楽しめるんじゃないでしょうか。
競技を記録したかったのか、それともオリンピックの”気分”をフィルムに掬い取りたかったのか、どっちつかずの中途半端な作品になっちゃってるとしか言いようがありません。それに長い。
「記録か芸術か」ということで当時論争があったようですが、こういった作品に監督の”作家性”というものは必要ないんじゃないでしょうかね。
自分の生まれる前の東京の様子が封じ込められてる、という点では十分に価値があるとは思いますが。

2020年、東京オリンピック開催が決まりましたね。石原都知事の時代からの宿願であった東京オリンピック。 前回のオリンピック誘致活動の際に、東京MX-TVでオリンピック映画特集がありました。1964年に開催された東京オリンピックの記録映画「東京オリンピック」は、「東京オリンピック」は犬神家の一族などを撮った巨匠・市川昆監督がつくったオリンピックの記録映画です。 選手たちの表情やオリンピックの裏方さんたちの様子、陰影の美しさ、音楽のすばらしさなど、報道ではなく芸術品としての美しい映像でした。 ...... more

途中経過報告の時、なんせIOCが『街(市民)の盛り上がりが感じられない』と見破ったのはさすがだと思いましたね。
大阪の時もそうでしたが、やりたがってたのは知事とかそのとりまき(というか無理やり巻き込まれた人たち)だけって印象は今回も同じでしたもん。あの時もマジで「よかったなあ、北京になって」って思いましたよ。
オリンピックの記録映画ではやはりクロード・ルルーシュの『白い恋人たち』の、あの優雅な曲とは裏腹な迫真のカメラを思い出します。二度ほどしか見てないんですが。