『四十七人の刺客』(1994)
2009年 12月 14日
「西暦1702年10月、大石内蔵助は既に藤沢を経て鎌倉に潜入していた――」というナレーションで始まる本作は、従来の「忠臣蔵」物とは一線を画した斬新な構成が魅力である。
殿中松の廊下での刃傷、浅野内匠頭の切腹等々一連の定番とも呼べるエピソードを大胆に割愛し、大石と上杉家家老・色部又四郎との謀略戦が中心だ。
老中・柳沢吉保に取り入り、事を極秘裏に処理し、常に赤穂の浪人の動静に気を配り、時にその切り崩しを計り、そして屋敷を要塞と化して襲撃に備える色部と、それを逆手にとって吉良の悪評をばらまき、世論を味方に付け、次々と布石を打っていく大石。
その情報戦争の果ての男と男の意地のぶつかり合いが吉良邸討ち入りであり、命乞いをする吉良上野介を一刀の下に自ら切り捨てる大石の姿は新鮮だ。
ただ、監督自ら『ナバロンの要塞』を想定した攻防戦、と語った肝心の討ち入りシーンに新味や迫力がないのが残念。
原作は脚本家としても知られる池宮彰一郎。
というのは「しねま宝島」からの転載。
この作品は封切りで観に行っているが、同時期に公開されていたのが、深作欣二監督の『忠臣蔵外伝 四谷怪談』で、ハシゴした記憶がある。
どちらも忠臣蔵物としては異端だが、競作になったのは不思議な縁だ。
この時には敢えて書かなかったが、迫力のない討ち入りシーンもそうだが、どうにもしっくりこないキャストが目立つのも気になった。
例えば大石内蔵助を演じた高倉健。
個人的には高倉健の内蔵助もあっても良いと思うものの、この作品では違う。賢愚定かならずと言われながらその二面性を愉しみ、謀略を廻らしながら女色に溺れるというのは凡そ高倉健のイメージではないだろう。
作者は漠然と中村吉右衛門をイメージしていたと語っていたが、自分が読んでいて思い浮かべたのも吉右衛門だった。
他にも台詞回しに力のない”剣豪”役の役者が何人かおり、これが迫力を減じているように感じるのだが如何なものだろうか。
反対に、面白いなと思ったのは柳沢吉保の役に石坂浩二を持ってきた点。
その昔、石坂浩二が同じ役を演じていたNHKの大河ドラマ『元禄太平記』を一生懸命観ていた身としては、その番外編を新作として観られた気分であった。