『怪獣王ゴジラ』(1956)
2010年 03月 16日
ハッキリ言って、これって国辱映画じゃあるまいか。元の『ゴジラ』の香りはズタボロ、全く残っていないと断言して良い。
米国で再編集といえば聞こえはいいが、要するにアチラで勝手に撮り足して好きに繋いだだけではないか。尾形、芹沢、山根父子といった主要キャラは後姿だけでスティーブ・マーチンと会話するし、日系人は怪しげな日本語を喋るし。
不自然な日本語を喋らすくらいなら、初めから全篇英語に吹き替えりゃいいのだ。
何といっても不可解なのがスティーブの設定。一介の新聞記者のくせに突然海上保安庁に呼び出され、初めて会ったそこの偉いさんにやたら贔屓にされ、いろんな調査団等に次々に参加。更に芹沢博士と親友で、山根博士や恵美子とも既知の間柄。どう考えても不自然だ。出来過ぎてる。
そして物語が全てスティーブの視点で語られる為、一方の主役ともいうべき尾形は殆ど出番がない。いない方がしっくりするくらいだ。日本人をなめるんじゃねえぞ。
まあ違った意味では実に笑える映画である。微笑・爆笑の類ではなく、苦笑・嘲笑の類ではあるが。
× × × ×
うーん、我ながら凄いこと書いてるなぁ(苦笑)。
これ、今から20年ぐらい前にこの映画を初めて観た時の感想文。ま、他人に読ませるつもりの文章じゃないってこともあるけど、勢いがあって感心したりして。
えー、この映画の成立過程については結構知られていると思いますが、一応おさらいしておくと、元祖『ゴジラ』をアメリカに輸出する際に、TVドラマ『鬼警部アイアンサイド』などで有名なレイモンド・バーを”主演”という形でフューチャーした改変版。特派員スティーブ・マーティンが日本滞在中に遭遇した事件の報告書、という体裁でまとめられたものです。
カットバックやモンタージュを多用し、スティーブが出ている新撮カットではそれっぽいセットを組んだり、それらしい恰好をした日系人を配し、主要キャラと会話する時は後姿や横顔のニセ芹沢やニセ恵美子を出現させるなど苦労の跡がうかがえます。
でもこれが意外に上手く行っていて、おそらく原版を知らず、なおかつ日本語を解さない人には殆ど違和感なく受け止められたんじゃなかろうか、という編集テクニックなのだ。
今ならばCGを使えば原版に後から別の人物を合成したりして「その場」に参加させることも可能だけれども、技術のない時代に良くやったなぁとは思う。
だからといって、オリジナルを知る日本人としてはやはり首肯しかねる内容。
この作品の中の日本人は日本語を喋ったり英語を喋ったりとチャンポンなのだが、日本人同士の会話なのに英語だけだったり、辻褄合わせに台詞を改変したりするのは許せない。
珍品中の珍品ではあるものの、「ゴジラ」ファンの端くれとしては封印しておきたい気分である。
せやけど「I Love Godzilla!!」を唱える私くらいの世代の怪獣好き外国人は、みなこれを観て言ってたワケでしょうね。と同時に、そんな連中は今に至ってネットやDVDでオリジナルを観る機会を得て、ものすごいカルチャーショックを受けてるでしょうし。
しかしレイモンド・バー、やりにくかったでしょうね。ひとかどの役者なら脚本に疑問を感じないはずはないし。
しかし、無名に近い俳優を使ってでも、わざわざアジア製映画を白人で作り直す風潮は未だに続いてるのが情けないやらみっともないやら。
素晴らしい映画を作り続けてきたにも関わらず、これだけは軽蔑したくなるハリウッドの汚点ですね。
もっとも、「ハリウッドリメイク決定!」と喜んでるこっちの連中もどうかしてますけどねえ。
でも、二度三度と観たくなる出来では・・・ないだろうな(苦笑)。今回観直しちゃったけど。
それにしても『新・ゴジラ』の海外版、ドクターペッパーとタイアップしてるから、基地にでっかい自動販売機が置いてあったり、クライマックスで登場人物が飲んでいたりと露骨すぎるのがなぁ・・・。