『将軍位を盗んだ男 吉宗の正体/”暴れん坊将軍”は「忍者」だった!』 若桜木虔
2010年 04月 05日

続いて頃合いを見て、御三家の一、紀州家に真田忍び(くノ一)を潜り込ませ、藩主・光貞の目に留まるように仕向け、懐妊させる。やがて生まれてきた子どもを、秀頼の子孫である男児とすり替える。
兄たちを暗殺し(或いは対立していた尾張家の忍びによって暗殺され)首尾よく紀州藩主となり、やがて他の対立候補も次々と退け、その結果徳川ではなく豊臣の血を引く八代将軍・吉宗が誕生した、というのである。
また能力主義を貫いた吉宗は、武士ではなかった者も登用し、下級の身分の者でも異例の出世を遂げた例が数多くあるが、これらは皆真田忍群の子孫もしくは息のかかった者たちであり、更には乗っ取った徳川家を盤石なものにするために御三卿の制度を設け、自分の子孫以外が将軍位に付かないようにするなど雄大な計画を立てたというのだ。そして自分を育てた薩摩の島津家には恩義を感じ、婚姻関係を結ぶことで両者の絆は深まった。これは他の雄藩、前田家や伊達家、池田家、毛利家などに対しては見られなかったことである。
その結果、ライバルである尾張家までも乗っ取ることに成功し、実に14代の家茂までの将軍は全て吉宗の子孫で固めることが出来た。
しかし最終的には御三家で唯一残った水戸家が、御三卿のみならず将軍家まで手中に収め、それによって縁の切れた島津家は倒幕に走ることになる・・・というワケ。
これ、小説の題材としては真に面白いのだが、しかしこれを「事実」として発表されてしまうとねぇ・・・・・・。
いや実際にこの通りだったかも知れないし、そう考えると色々と辻褄が合うこともわかるのだけれども、根拠としては随分と弱いし、何よりも断定調なのが気になって仕方がない。
ハッタリかました方が読み物として面白いのはわかるけれど、もうちょっと読者に考える間を与えても良いんじゃないでしょうかね。
なおこの著者名、うちらのサイトに遊びに来て下さるような方々には懐かしくも思い入れがあるんじゃないかと思いますが、一時は架空戦記モノで馴らしていたようですが(霧島那智名義)、最近ではこういう本も書くようになっていたんですなぁ。