『ifの日本史/「もしも」で見えてくる、歴史の可能性』 加来耕三
2010年 04月 24日
この本でも沢山の「もしも」が出てきます。
「もしも」始皇帝が不老長寿を願わなければ――?
「もしも」白村江の戦いに勝利していれば――?
「もしも」平将門が敗死しなければ――?
平治の乱で源義朝が勝利していれば? 足利尊氏が挙兵しなければ?
桶狭間の戦いで織田信長が敗死していたら? 武田信玄が急死しなければ?
織田信長の嫡子信忠が存命なら? 蒲生氏郷がもう少し長命であったなら?
前田利家が長寿だったら? 大坂の陣で家康が討死していれば?
由比正雪の乱が成功していたら? 赤穂浪士が打ち首・獄門となれば?
尾張宗春の経済政策が成功していれば? ペリーが日本へ来なければ?
坂本龍馬が暗殺を免れていたら? 西郷と大久保が和解していたら?
「もしも」「もしも」「もしも」――?

確かに大きな変化をもたらした可能性のある「もしも」もありますが、その殆どは結果としてあまり変わらなかったんじゃなかろうか、ということ。
例えば中心となるメンバーには変動があったり、到来が早まったり逆に遅くなったりということはあったにせよ、結局は現在我々が生きている歴史の流れからはそう大きく外れなかったのではないか、という結びになっています。
ということで、トンデモ本的な展開を期待している人には物足りないでしょうけれど、これはこれで説得力はあるように思います。