『マネー・ボール』再読
2011年 12月 23日
あれ?こんなことあったっけ、みたいに記憶が曖昧な部分が多いのが困りもの・・・。

それに映画はかなりの部分が”創作”、と言って悪ければ”脚色”なのか、それとも原作では外されたか、もしくは作者とは違ったソースから得られたエピソードに基づいて作られているのかも知れませんね。
それぐらい内容が違います。
勿論劇的効果を狙っての意図的な”脚色”は、パンフにも書かれている通り幾つもあるようです。
どの選手がいつの時点でアスレチックスに在籍していたとか、気になる人は気になるんじゃないでしょうか。
また小説ではないからか、原作にはビリーの別れた奥さんや娘さんは殆ど出てきません。
娘にギターを買ってあげたり、娘が歌で父親を励ましたり、というのははて、”事実”なのか”創作”なのか。
面白いのはアスレチックス20連勝が掛った試合、見るように勧めたのは「ビリーが娘に」。
映画のように「娘がビリーに」、ではない点ですね。
そして最大の相違は、ビリーの片腕ピーター・ブランドが架空の人物だということ。
モデルは原作でも重要な役割を担っているポール・デポデスタという人ですが、映画での自分の扱いが不満だったとかで、実名使用を拒否したんだとか。色々ありますね。
それにしてもこの本を読んでいるうち、ロジャー・コーマンの本を思い出しました。
『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか』というヤツで、時間も金も人も無い中で映画を作る苦労話を自慢げに(笑)語った一冊。
二人の姿勢が似てるなどと言うつもりはないですが、”工夫”というのも必要なんだな、という気持ちにはさせられます。