『もののけ姫』(1997)
2013年 05月 11日
舞台版を見ましたのでアニメ版も久方ぶりに鑑賞。
で、例によって手抜きして前の感想を「しねま宝島」から引っ張ってきました。
アニメーション映画のみならず、日本映画の興業成績に金字塔を打ちたてた作品。宮崎駿の「監督引退発言」もそれに拍車をかけた。
だが、作品が内包するテーマは『風の谷のナウシカ』の焼きなおしでしかなく、集大成といえば聞えは良いが新味はない。宮崎作品には珍しい残酷描写もその必要性を感じない。
現代文明が崩壊した未来世界を舞台にした『ナウシカ』での「自然と人間との共存」というテーマはわかるのだが、戦乱の世(過去の日本)を舞台に同じテーマを語ろうとすることに無理は無かったのだろうか?
自分のいるべき(属する)場所を失ったアシタカは人間(文明)を代表しないし、人でありながら獣に育てられた「もののけ姫」サンは人も獣(自然)も代表し得ない。この二人を中心にして何を描きうるのか? 世界に疎まれた者同士が「共に生きよう」とする姿は、その延長線上の世界に現在の我々がある以上、非常に虚しく響くのみである。
<英語吹替・日本語字幕スーパー版>というやつも見た。
案外すんなり見ることが出来た。理由は英語版だったから、だと思う。
なんせ『もののけ』オリジナル版は、松田洋治を始め、石田ゆり子、森繁久弥、美輪明広、田中裕子、森光子、小林薫、西村雅彦と声聴くだけで顔が浮かんでくる面々ばかり。これって、吹替の時に一番邪魔な要素である。
ところが英語版だと、ビリー・ボブ・ソーントン、ジリアン・アンダースン、ミニー・ドライバー、クレア・デーンズ等々豪華な顔触れではあるものの、即座に顔が浮かぶわけでもないので、余計な気を使わずにすむからだ。
にしても、この作品が何故にアメリカでもてはやされるのかは今もって謎だ。
なお同時上映は、アメリカでの熱狂振り(?)を紹介するドキュメンタリー映画『もののけ姫 in U.S.A.』だった。

しかし今回見直して思ったのは、やっぱり「何が言いたいのか良くわからない」というものでした。
みんなはアシタカを主人公として、感情移入しながら見ているから気にならないでしょうが、彼の行動ってちっとも読めないし、彼が行動することで事態が悪い方へ悪い方へと動いて行っているような気がしないでもありません。
それに……自分の中にある、幼い頃から聞かされてきたダイダラボッチ(でいだらぼっち)のイメージとシシ神のそれが、上手く結び付かないもどかしさもあるのかも知れませんね。