佐村河内守 『交響曲第1番≪HIROSIMA≫』
2014年 02月 09日
CDショップで見かけ「さてこの人の名前はなんて読むんだろう?」と気になったのが切っ掛け。ただ最初は「障害を持っている」という部分に引っかかりがあって、それだけで注目されているのならば、と素通りしたのだけれども、その後あちらこちらで評判になっているらしいことを知り、気になったので購入。それからNHKのドキュメンタリー番組で注目されるようになり、そして今回の騒動になったのはご存知の通り。
音楽そのものは「現代音楽」らしい取っ付き難さは少なかったのと、どっかで聴いたようなフレーズが混じっている気がして割と素直に聴けたのだけれども、特に印象に残らず。この騒動の中で何度か聴き直してみたものの、あまりピンとくるものではなかった。
音楽に限らず、絵画や小説など芸術作品の中には、実は本人ではなく別人の作というものも少なくないようで(更にいわゆる「贋作」もあるわけだし)、今回の代作騒動も決して褒められたことではないものの、意外性は少ないのかも知れない。
例えばかの『宇宙戦艦ヤマト』の音楽にしたって「宮川泰作曲」とクレジットされていながら別人が書いたものがあるそうだが、それでその曲の価値が変わるわけではない。誰が作曲したかと出来不出来はリンクしないのである。
同様に「全聾の作曲家」を詐称していた疑惑も持たれているが、これがもし本当ならば法的には裁かれるべきであるが、やはり出来上がった作品と「どういう人」が「どういう状況」で書いたものなのかは無関係であるべきである。
ところがこの作品を評価した人が、事件発覚後に掌を反すように批判する側に回っていることには違和感を禁じ得ない。むしろ滑稽ですらある。
また評価しなかった人も「稚拙だった」とか「好みに合わなかった」という理由ならばわかるが、中には「胡散臭さを感じた」からという人がいるようなのも如何なものかと思う。
「”被爆二世”の”全聾の作曲家”が作ったのだからこの曲は素晴らしい」、いや「その売り方は胡散臭いから否定する」というのでは、少なくても音楽評論を生業にする資格はないだろう。色々と考えさせられることが多い今回の一件である。

そうですね、誰が作曲してるかというより、この音楽が好きだの方が先ですね。
「ヤマト復活篇」での音楽も、最初はこれヤマト?って感じでしたけど、「DC版」では好きな方に変わったおかげで満足しちゃいましたからね。
誰の作曲より、どの音楽といった感じです。(笑)
結局、聴く前にお店からも撤去されちゃったので、もう聴けないかもしれない・・・う~ん、羨ましい。
ネットオークションでは高値で取引されているようで、「それほどでも…」と思っている自分には嘆かわしい事態だなあと思ってしまいます。
”臭い物には蓋”式に封印するのではなく、然るべき手順を踏んで正当なる著作者の名の下に正規で再リリースして欲しいと思います。