名将、逝く
2005年 12月 16日
再びユニフォームに袖を通すことはないのでは、と思っていましたが、オリックスと近鉄との合併球団から請われ、もう一度現場へ。
その頃から体調面での不安が囁かれ、結果1シーズンのみで勇退。それから僅か2ヶ月余での訃報でした。
「野球人として、グラウンドで死ねたら本望だ」というようなことを言っていたのを覚えていますが、それに近いような形になりましたね。
仰木監督がいなければ、野茂もイチローもパンチ佐藤も、世には出なかったかもしれません。
プロ野球人気の低迷が取り沙汰されている昨今、まだまだ”仰木マジック”は必要だったはず。本当に残念です。