旅日記のその10
2014年 11月 14日
二条城と呼ばれたり、それに類する建物は他にもあったんですね。
それを探し回りました。
「旧二條城跡」と書いてあります。
ここは平安女学院大キャンパスの一角です。
別の場所に「斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺址」という石碑も見つけましたが、元々この地は室町幕府で三管領筆頭だった斯波義将の邸宅があり、その後13代将軍足利義輝が邸宅を構えて政務に携わった場所なんだそうで。
信長はこの地を拡張して、15代将軍義昭のために城を建てました。それを「旧二条城」と呼んでいるそうです。
後に義昭は信長と対立したためにこの城は破壊され、資材は安土城へと運ばれたと伝えられています。
もう一か所「此附近 二条殿址」という石碑のある場所も紹介しておきます。
これは公家の二条家の邸宅を信長が譲り受けて改修したもので、後に誠仁親王に譲られ「二条新御所」と呼ばれていたそうですが、本能寺の変に際し隣接する妙覚寺(信長の嫡男信忠が宿泊していた)と共に焼け落ちました。
実はこの日、さんざ探し回ったんですが見つけられず、翌日に出直してやっと見つけたという代物。
色々と調べた結果、龍池小学校という所にあるらしいことはわかったのですが、今は廃校。
学校名で探しても場所が上手くヒットしなくて苦労しましたが、何と今は「京都国際マンガミュージアム」となっておりました。
この三か所の二条城、場所は結構離れていたりするので、続けて廻ろうとする場合は注意が必要かも知れません。
他に羽柴秀吉が聚楽第に先駆けて築いた「二条第」もあるようで、なんだかこんがらがってきましたねー。