『宇宙戦艦ヤマト2199/追憶の航海』
2014年 12月 01日
劇場での上映はまだまだ続いていますが、今週末にはとうとう新作『星巡る方舟』も公開されます。ソフト版の正式リリースもされましたので、改めて『追憶の航海』を再観賞です。前回はオーディオコメンタリー付きで観ていたので、細部にばかり注目してしまっていたのですが、今回はじっくりと物語を追いかけることをポイントにしていました。
既に26話分のTVシリーズを2時間強でまとめた旧作劇場版を繰り返し観ている身としては、『2199』の総集編も些か冷やかな目で捉えていました。つまり誰がどういう風にまとめようと不満点は必ず出る、誰しもが納得するような総集編なんか出来っこない、と考えていたのです。
それは実際に『追憶の航海』を観た時もそうでした。ただ、いきなり冥王星基地攻略(「メ2号作戦」)から始める、という切り口の大胆さに幽かな希望を見出しましたが、見続けていくうちに、ワープや波動砲の省略、キャラクターの大幅な整理に「やっぱり」との思いを強くします。失望というよりは諦観に近いものでした。
ビーメラ星の件までで概ね上映時間の半分を消化、というのは前半から中盤にかけてかなりの刈り込みといえます。その貯金も七色星団の攻防やガミラス本星での死闘で使い果たし、残り時間も少なくなりいよいよイスカンダルへ。ここまでは「こんなものだろう」と思いながら観ていましたし、イスカンダルからの帰路のエピソードは丸ごと削除されるだろうというのも予想が付いていましたが、決定的に許せなかったのが沖田艦長の死。
確かに映像としては残っていますが、主題歌が流れ、エンドロールが被さったまま。ここはおざなりに「映しました」とするのではなく、しっかりとドラマとして描くべきじゃなかったのか……。
そこで今度は考え始めます。自分ならどうまとめるだろう?と。
要するに「俺ヤマト」「俺2199」です。これは『追憶の航海』をご覧になった方の大半が、全面的にであれ部分的にであれ、考えたのではないでしょうか。
ただ「誰がまとめても万人が納得するものにはなり得ない」、最初にそう断りました。ならば割り切って、この『追憶の航海』をベースに最小限の手直しでより自分好みに変えられないか?
冒頭、冥王星から始まる構成は良しとします。その後です。ここで主題歌を、しかもTVシリーズのフォーマット(映像含めて)で流す必要はあるでしょうか?
タイトルだけ出せば十分ではないのか、さもなければ映像は物語のプロローグに遡り、遊星爆弾の落下、夕陽に眠るヤマト、そして抜錨…といった具合に発端部分を主題歌に乗せて流すのはどうだろうか?
また流すとしても冥王星基地が破壊されてからのタイミングなのか、それとももっと早くコスモファルコンが出撃した直後でも良いのではないか、等々…。
そしてラストシーンです。ここはどうしても沖田の死は入れたいところ。
イスカンダルを旅立った後に艦内の和やかなシーンを幾つか挟み(雪のコーヒーや加藤と原田の結婚式のような劇中からのセレクトや思い切って新作カットを入れたり、或はエンディングに流れたようなイラスト処理でも良いでしょう)、やがて近づく赤茶けた地球の姿、「何もかも懐かしい」という沖田艦長の科白…。
その後は旧作劇場版のようにアカペラ、スローで始まる主題歌を流すも良し、第七章で使った「明日への希望」のアレンジBGMでも良し、どちらも映画っぽい終わり方を盛り上げてくれるはずです。
来るべき『星巡る方舟』への予告編を兼ねて敢えて帰路は省いたのだと思いますが、総集編を前編、新作を後編と想定した前後編ではなく、独立した一本の作品として作る以上、きっちりと結末は見せて頂かないと。
……更に妄想は続いて行く訳ですが、今回『追憶の航海』を観て、納得はしませんしこれで許せるとも行きませんでしたが、これはこれでアリなのかも知れないなと思い直しました。
旧作劇場版に比べれば遥かに”ドラマ”として優れた構成になっていますし、見応えは十二分。初見の人には辛い内容ではありますが、それでもアピールするポイントは多々見受けられると思いますし、この総集編が広く流布することで『宇宙戦艦ヤマト2199』というタイトルの知名度が上がれば、シリーズ自体へのフィードバックも期待出来るでしょう。後は『星巡る方舟』とセットにした時のバランス感でしょうか。
それさえクリア出来れば、この『追憶の航海』そのものにも及第点を上げても良いのではないか、そんな風に思うようになりました。