『ウィロー』(1988)
2015年 12月 17日

というジョージ・ルーカスのコメントが大々的に載ってますね。
それじゃあ、と<スター・ウォーズ>の新作公開前におさらいです。
先ずは以前観た際の感想を、「しねま宝島」から引っ張ってきました。
ジョージ・ルーカスがロン・ハワードと組んで作ったファンタジー映画。
『スター・ウォーズ』のリメイクだと陰口も叩かれた(相も変らず『隠し砦の三悪人』のリメイクとも言われちゃう)が、『スター・ウォーズ』では果せなかったトールキンの『指輪物語』への、ルーカスなりのチャレンジと見ることも出来る。
『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』でイウォークに扮したワーウィック・ディビスがタイトル・ロールのウィローを演じ、他にも小人俳優が大挙して出演しているが、一見ファンタジーに相応しそうでいてかえって一般観客の感情移入を妨げてしまったのは逆効果。
肝心のウィローそのものも徹底的な傍観者で、聖なる赤子を抱えて右往左往するだけ。
これが魔法に憧れる未熟な少年という設定ならばまだしも、妻も子もいる一家の大黒柱としては頼りないこと甚だしい。
反面、放浪の戦士マッドマーティガンを演じたヴァル・キルマー(ビリング上では一番)が際立って格好良く見えるが、これは必要以上に目立ちすぎ。本来なら主人公の脇に廻っておいしいところをさらって行く役どころなのに、彼そのものが主役に見えてしまうのもマイナス要因。
それにしても、えらくこじんまりとした作品世界で、この世の救世主を巡っての大魔法合戦のはずが、単なる小国同士の小競り合いにしか見えないのも残念である。
またルーカスとハワードのコンビも、<インディ・ジョーンズ・シリーズ>のルーカス&スピルバーグ組に匹敵するビッグな組み合わせだと思うのだが、思いの他盛り上がらなかったようだ。
それでもこの時期のルーカス作品としてはヒット作と言って良く、ルーカス自身もシリーズ化の構想を持っていたようだが実現はしていない。
後年、小説として続編が三部作形式で発表されたが、翻訳は何故か第二部までで止まっている。

<スター・ウォーズ>や<インディ・ジョーンズ>並みにはお金掛けてるんでしょうけれど、なんだかすごく低予算に見えてしまいます。
主人公のウィロー、演じているワーウィック・デイヴィスは撮影当時17~8歳だったと思うのですが、何故か妻子持ちの設定。物語はウィローの成長を描いているんですが、普通に少年の冒険モノではいけなかったんでしょうかね。父親である必然性があんまり感じられません。
それに途中でマッドマーティガンとソーシャがラブラブになって、唐突にソーシャが母バヴモーダ女王を裏切るという展開も納得いきません。いくら序盤の方で「反旗を翻すかも知れません」と言わせていたにしても。もう少しひねって欲しいですね。
運命の子どもを救おうと川に流すのはモーゼですか?
他にもどこかで見たり聞いたりした要素は色々と混じっていますし、どうしても<スター・ウォーズ>の後追いに見えてしまうのも残念ですね。
登場人物たちにルーク、ハン、レイア、ランド、ヨーダ、C-3PO&R2-D2、ヴェイダーの影がチラついてきちゃいますしね。
それに先にゴメンナサイしてしまいますが、小人俳優が大挙して画面に出てこられるとそれだけで抵抗感が…。
これは生理的なものなので如何ともしがたいところです。
しかし今回見直してみて思ったのは、ピーター・ジャクソン、『ロード・オブ・ザ・リング』を撮るにあたってこの作品を改めて研究したんじゃなかろうか、ということ。
<スター・ウォーズ>との類似点はよく指摘されるところですが(「帝国の逆襲」のAT-AT(スノーウォーカー)を倒す場面と「王の帰還」のオリファントを倒す場面など)、きっとこの『ウィロー』も参考にしていると思われます。
【ひとりごと】
「ウィロー」のテーマ曲、やっぱりシューマンの交響曲第3番「ライン」にソックリだよなあ。
『宇宙からのメッセージ』の「リアベの勇士」とショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」よりもソックリ度は高い。
……いいのか、それで?