『マン・オブ・スティール』
2016年 03月 21日
漠然としたものながら自分なりの「スーパーマンとはかくあるべき」というイメージがあり、それとは大きくかけ離れた内容だったことに戸惑ったことが素直に愉しめなかった理由だったのですが(荒廃したクリプトン星のイメージ、『インデペンデンス・デイ』のような侵略モノのようなテイストなども含めて)、今は着地点をしっかりと見極め「次」へと繋がる第一歩として受け入れる体制が整ったといったところです。
予告編を見る限りでは、「次」の作品でスーパーマンは”神”と崇められる一方で危険視されるようですが、改めて本作でのスーパーマンの行動を見ると、そう受け取る人がいるのも已む無しという気がします。
登場してすぐにスーパーマンを”人類の味方”として受け入れることをせず、一旦は投降を求めて拘束するという件はかなり意外な思いで見ていたのですが、しかし実際に”理解不能な超越的存在”を目の当りにしたならばリアルな反応なように思えます。
観客は「スーパーマン=善」「ゾッド将軍=悪」という物差しで見てしまいますが、その因縁を知らない劇中人物からすれば、両者ともに等しく”人類に対する脅威”だと判断するのも当然でしょう。
そしてその場にいて直接関わった人たちならばいざ知らず、それ以外の人々にとってはスーパーマンとて得体のしれない異星人であることに変わりはありません。
実際にこの作品では、スーパーマンは人命救助よりも街を(結果的に)破壊しているシーンの方がインパクトがありますし、最後にはゾッド将軍を自ら手を下して殺害しています。
スーパーマンが善を為す存在だと認知したとしても、そのスーパーマンの考える善が、常に人類にとっての善と同じだという保証はどこにもありません。
となればスーパーマンに対するカウンターとして、例えばバットマンを求めるという展開も理に適っているのではないでしょうか。
ということで期待値が上がってきた『バットマンVSスーパーマン』ですが、両雄激突から共闘への流れ、そしてワンダーウーマンをはじめとする他のヒーローたちとの合流がどうなるのか、非常に気になります。
ライバルの<マーベル・シネマティック・ユニバース>のように「次」への伏線を貼りまくることになるのでしょうか。
既に『ワンダーウーマン』は製作中で、程なく『ジャスティス・リーグPART1』の撮影も始まるとのことですが、いずれにせよ『バットマンVSスーパーマン』がヒットしないことには「次」もありません。
【ひとりごと】
この作品の特徴はスーパーマンとクラーク・ケントの境界が曖昧なこと。
ロイスは最初っからスーパーマン=クラークだと知ってるし、クラークの故郷の幼馴染にはバレバレのはず。
それにしてもロイス役のエイミー・アダムス、年齢を感じさせない可愛さがありますね。
下手すると『スーパーマン・リターンズ』の時のケイト・ボスワースより若く見えるかも。
<過去記事>
http://odin2099.exblog.jp/21004378/