『わが青春のアルカディア』
2016年 07月 28日
…って毎年ノスタルジーに浸ってるのも如何なものかと思うけど、去年見直さなかった作品だからいいかな。
久しぶりに【今日は何の日】をやってみますと――

いくら夏休み中とはいえ水曜日公開というのは珍しいと思うけど、31日土曜日とアナウンスされていた公開日が繰り上がったのは、結構ギリギリだったと記憶。
前番組、不入りだったのかな?
しかしもしテコ入れを図ったのだとしたら、残念ながら期待に沿う結果にはならなかったようで。
さて、前回の記事を書いた時(こちら)、「観る度に印象が違う」と書いたけれど、結局のところバランスが悪いんですね。
ハーロックとトチローの先祖を繋ぐ一冊の本、しかし当人たちも知らないその謂れをなんでトカーガのゾルが知ってるの?
どうしてハーロックとトチローに目をつけ、個人データを収集できたの?
エメラルダスの初登場の台詞、トチローに対しての自己紹介でもあるんだけど、如何にもな説明台詞で不自然すぎるし、宇宙自由貿易人って何?最初から海賊じゃダメなの?
エメラルダスがトチローと出会い、ハーロックとマーヤが再会し、傷ついたハーロックとエメラルダスの再会、ゾルとの友情、アルカディア号発進…という流れはエモーショナルだしワクワク感もあって悪くないんだけど、その後で囚われたエメラルダスとマーヤの処刑、そしてゾルの死…というあたりでドラマ部分が完全に停滞しちゃってる。
そして「宇宙のスタンレーの魔女」の無理矢理感。
炎の海に飛び降りた…って、その前に真空の宇宙空間に飛び出してるんですけどぉ。
某大物ゲストを除けば人気声優の熱演も嬉しいし、使い方が良くないもののメロディだけはノレるBGM群だとか、ところどころ良いシーン、良いパーツ、良い要素…があるのに、全体として観ちゃうと「ナニコレ?」になってしまうのがこの作品の欠点。
あれも入れたいこれも入れたいと盛り込み過ぎ、シナリオの段階で破綻しちゃってるんだけど、誰も上手くコントロール出来なかったのかな。
『銀河鉄道999』、『さよなら銀河鉄道999』それに『1000年女王』でさえ、シナリオ段階では上手く構築できているのに(『1000年女王』に関しては、シナリオの段階ではまとまっていたのだろうけど、その後ブツブツ切り過ぎてわかりづらくなってるのが残念だけど)、それがこの作品では出来なかったのは監督のせいなのか、それとも企画・原作・構成の看板を背負ってる御大のせいなのか…。
それでも思い入れは十分すぎるほどあるし、正面切って非難されたら徹底的に弁護したくなる、そんな愛すべき作品群の一本であることに変わりはなし。
☆まい・ふぇいばりっと・む~び~ず☆の一本にセレクトしてるのもダテじゃありません。
特にあのCGアニメ版「ハーロック」の映画なんか見せられた日にゃ、この路線を貫いた新作なんぞを見たくなるんですよ。もう望みは薄いだろうけど。
【ひとこと】
予告編、これは傑作だよな。
BGMはドヴォルザークの「新世界」、第一、第二、第四楽章。

ざっくりした感想で恐縮ですが、テレビ版のイントロ感が強く、映画としてのスケールがイマイチに感じられました。
一つお聞きしたいのが、当時の「月刊OUT」感想座談会で「則巻千兵衛ならともかく、トチローが一人でアルカディア号を作れるのはおかしい」という意見が上がったのですが、どう思われましたか? 私は松本アニメならセーフ派なんですが。
あと劇場アニメといえば、月曜に「九尾の狐と飛丸」という'68年の作品を見て「ホルス」との類似性に驚きました。
それでは失礼致します。
というと全国的に繰り上げたんじゃなく、一部の地域だけだったんですかね。
その前年の「さよなら銀河鉄道999」は、確か北海道地区だけ8/1の公開で(夏休みが他より短いからという理由)、それ以外は8/8に設定したものの、結局全国で足並み揃えた経緯がありますが。
トチローが一人で、といっても実際は組み立て用の機械などを設計・開発してからなので、一から全部一人で造ってるわけではないですが、松本零士世界でそういうことを否定していたらお話が成り立ちませんからね。
それに今じゃアルカディア号一隻だけじゃなく、複数のアルカディア号やデスシャドウ号も造り、エメラルダス号やヤマトのメンテまで一人でやってる設定みたいですから。
