『真田幸村の遺言』 鳥羽亮
2016年 11月 06日
真田幸村の遺志を受け継いだ者たちが中心となった、大坂の陣の後日談のようなものを想像されるかもしれないが、実は徳川吉宗が紀伊藩主から将軍へと昇り詰めていく、という話。
ではそれのどこが真田幸村と関係があるかというと――
大坂の陣の際、幸村は嫡子・大助に命じて豊臣秀頼を密かに薩摩へ落ちのびさせた。
その後大助は秀頼共々紀州へと渡り、紀州藩士の加納家当主に収まり、秀頼は寺の住職として子孫を残すことになり時を待った。
ここでようやく真田のくノ一・おゆらに紀州藩主・光貞の手が付き、彼女はその胤を宿すことなく今度は秀頼の孫と契ってその子を産む。表向きは光貞の子だが、実は豊臣家直系の子という訳だ。
これが後の吉宗で、加納政直実は大助の嫡孫・真田幸真が中心になって徳川家相手に豊臣が天下を取るべく大いなる合戦が始まる、という物語なのである。
本来なら順番から言って将軍位はおろか藩主の座にも付けない吉宗だが、父を、二人の兄を退け、次に尾張家の野望を砕き、最後には将軍の座に就き、御三卿の制度を設けて自分の直系の子孫以外が将軍位に就かぬように手を打って行く。勿論その間にはライバルとの間に忍び同士の凄惨な戦いがあって、という迫力のある一篇。
真田幸村や一子・大助が些か買い被られ過ぎではないか、という思いもないではないが、吉宗の出自や周辺の人物には不明な点も多く、こういった想像の入る余地が十分にあるのも興味を掻き立てられる部分だ。
そういえばよく似た発想の『将軍位を盗んだ男 吉宗の正体』という本を以前読んだことがあるが、ありふれた説なのだろうか。