『怪獣総進撃』
2017年 02月 17日
ということでこの作品を「ゴジラ」サーガの最終章と呼んでる人もいました。
実際この作品でシリーズ打ち止めという意向もあったという話ですし、変な例えですがこの怪獣ランドが怪獣たちの老人ホームや姥捨て山に見えてしまうことも…。
「ゴジラ対ガイガン」や「ゴジラ対メガロ」の頃ですと、ゴジラは怪獣島(怪獣ランドのこと?)から出撃するというパターンが出来上がり、怪獣島はいわばゴジラの基地のような扱いになるのですが、それを当然のようにこの作品以降の話として見るのではなく、前史なのだという見方をしてるのが最終章と呼んでいる人たちなんですね。
怪獣たちがやってきたといっては、都市部だろうがなんだろうが郊外にあると思われる基地から容赦なくミサイル攻撃をかけたり(ハッキリ言って怪獣よりも破壊してる)、その都市部も何やら武装している軍事国家みたいな日本は、これは実現して欲しくない未来ですが。
今回も宇宙から飛来するのはキングギドラ。
もう一体ファイヤードラゴンという未知の新怪獣も出てくるのですが、実は…と些か拍子抜けする正体が明かされるので除外しますが、最初はゴジラ・モスラ・ラドンの3怪獣、続いてゴジラ・ラドンの2怪獣を相手にハンディキャップマッチで善戦したキングギドラも、流石に地球怪獣連合軍相手には分が悪く、今回だけは逃げ帰ることが出来ずに絶命です。
そう、「ゴジラ対ガイガン」に出てくるキングギドラは2匹めなんですよね。怪獣図鑑の類でも明記してないケースが多いようですが。
その後は「流星人ゾーン」で、ゾーンファイターと前後編で死闘を繰り広げます。
怪獣は沢山出てくるし、地球の主要都市は派手にぶっ壊されるし、宇宙空間を舞台に宇宙人とのドッグファイトもあるし、お馴染みの俳優さんもそれなりに出てくるし、久々の本多猪四郎・円谷英二・伊福部昭のトリオ揃い踏みだし、東宝の怪獣映画・SF映画の集大成の趣き。
そんな詰め込み過ぎの豪華さもあって、昭和期ゴジラでは好きな作品の一本です。
【ひとりごと】
この作品で最初のゴジラの対戦相手アンギラスが復活。
以後の作品では何故かラドンに代わってゴジラのタッグパートナーを務めることに。
【ひとこと】
万能すぎる小松崎茂デザインのスーパーメカSY-3だが、劇中では「エスワイスリー」とか「エスワイサン」とか呼び方まちまち。統一しろよ~。
<過去記事>
http://odin2099.exblog.jp/9974400/
「怪獣総進撃」は元々はゴジラ映画最終作になる予定の映画で、最終的に怪獣と人間の行き着く先を描いているようですね。動物園で飼われているようになってしまった怪獣達の姿に不満の方が多いようですが、人間にしてみれば怪獣を傷つけずにその力を抑えるにはこれしか無かったと思います。怪獣達を眠りから覚ましてしまったのは人間ですが、故意にやった訳ではありませんし、怪獣達を攻撃したくてしているのではありません。人間だって自分達の生活を守らなければいけないのですから。
でも映画を最後まで観ていると「怪獣達の管理」を勧めているのでは無い事に気づきます。ラストの怪獣達の様子を見ていると、全ての管理システムが壊れた怪獣ランドに自分達から帰ったように見えます。管理やコントロール無しでもここで生きていくと言っているように見えました。
思えば怪獣ランドという楽園を提供されていた時分から、すでに怪獣達は人間に対して理解を示していたものと思われます。キラアク星人との最終決戦に赴くSY-3号を見上げている怪獣達の様子は、自分達が加勢に行けない事を悲しんでいるように見えます。アンギラスに至っては始終俯き加減で、まるで泣いているみたい。
この頃のゴジラさんは大分性格が丸くなっていると思われますので、人間を敵と見なす事は無いでしょう。事件の後は怪獣達は管理されないし、人間達も管理しない共存世界の実現。これが昭和ゴジラシリーズの最終的なテーマだと思います。
シリーズ物でありながら自由度が高いというか、それ以前の展開に執着しないのが「ゴジラ」の特色かと。
前作と辻褄が合わない箇所があっても気にしちゃいけないのでしょう。
「オール怪獣」に出てくる怪獣島は空想の産物と解することもできますが
「対ヘドラ」以降でゴジラの拠点となっている怪獣島は、はたしてこの怪獣ランドの原型なのか、それとも発展形なのか、
それとも全く別の場所なのか
いずれにせよ、ゴジラたちはようやく安住の地を見つけたようではあります。