『マン・オブ・スティール』
2017年 07月 08日
それに続く「ジャスティス・リーグ」も、残念な監督交代劇はあったものの、今のところネガティヴなニュースがあまり流れてこないところをみると、どうやら期待して良い?
ということでこちらもお浚いをはじめてみようと思ってるのだけれど、<DCフィルムズ>って呼称は全然定着しませんな。配給会社が打ち出した公式な名称のはずなのにファンの間では専ら<DCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)>と呼ばれてるし、日本独自のアピール、どうやら失敗みたい。

解説役のみならず、結局はストーリーを運んでしまうジョー=エルことラッセル・クロウの出番が多過ぎるのは気になるものの、スーパーマン=クラーク・ケント役にクリストファー・リーヴやブランドン・ラウスのような無名の若手が抜擢されたのとは違うヘンリー・カビルの存在感が、ラッセル・クロウのワンマンショーになりかねない事態を回避。
もう一人のお父さん、ジョナサン・ケントにケビン・コスナーを持ってきたことで、上手くバランスもとれてる感じだし、従来の作品以上に養母マーサにスポットを当てていることで、クラークの周りがガッチリ固められている。
配役を聞いた時にはダイアン・レインがこんな老け役を?と驚いたものだが。
ただクラークの人格形成大となったジョナサンの考え方は理解しづらい。
”能力”を使って友だちを助けたクラークを非難し、「じゃあ見捨てれば良かったの?」との問いに「そうかもな」と答える。そして実際、竜巻に巻き込まれた自分を助けようとしたクラークを制し、自ら犠牲になってみせる。
何が「正解」なのか、結局その答えは永遠に見つからないだろうが、それでも”正義の味方”スーパーマンへの教えとしてそれで良かったのかなという疑問は残る。
また人を護るためというより、私怨によってゾッド将軍を殺してしまったように見えるスーパーマンの選択は、今後のスーパーマンの活動を(地球人として)全面的に信頼していいものだろうか、というのは大いなる問題でもある。
色々な面でモヤモヤが残る展開、そして結末だった。
そして続編「バットマンVSスーパーマン/ジャスティスの誕生」でも、これは問題提起されている。
<過去記事>
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