今度は手軽な場所、ではなくちょっと足を延ばして甲府までやってきました。
「
人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
――で、武田氏にはお城がなかった、なんて誤ったことを教わった気もするなあ、遠い昔に……
さて、ここは信虎、晴信、勝頼の三代に亘った武田家の本拠地です。
ただ城址としてよりも、地元ではやはり武田神社として認識されてるような気がします。
案内板の表示も「
武田神社」となっていて、それが国指定史跡「躑躅ヶ崎館跡」にある、ということのようです。
「
武田氏館跡」という呼び名もあって、「日本100名城」へはその名前で登録になっています。
さて、甲府駅から北へ一本道、距離2.2km、というので楽勝だと思ったのですが、然にあらず。
ずーっと緩やかな登りになっていて、しかも目的地が見えないので自分がどのくらい歩いたのかがわからないのです。
通りには色々案内が出てるんですよね、ここは誰それの屋敷跡だとか。
でも肝心の城跡(武田神社)まであとどれくらい、とかは書いてなくてひたすら真っ直ぐ進みます。
途中で山梨大学が左右に現れ、やれやれあともう少し、と思ったのですが、その後も結構ありました。
目的地に着くと神社はほぼスルーして境内の外へ。
発掘調査された大手門東史跡公園を堪能。
ぐるっと周囲を廻ってみましたが、思っていたよりも広い範囲が確保されてるみたいですね。
そうはいっても周辺は殆どが民家でしたけど。
あまり「お城を見た」という気分にはならないところかも知れないです。
はてさて、これはなんじゃろう???