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『羽柴を名乗った人々』 黒田基樹

成り上がり者で子供もおらず、古くからの忠臣、股肱之臣もいない秀吉が、弟の秀長はじめ親類縁者をかき集め、片っ端から「羽柴」姓を連発して作り上げた一大(疑似)ファミリー、という程度の認識でしたけど、徳川家康ら有力大名、織田家中時代からの同僚、ひいては主家筋にあたる織田一族に至るまで悉く「羽柴」一族に取り入れていたのは知りませんでした。

『羽柴を名乗った人々』 黒田基樹_e0033570_19263263.jpg「五大老」として知られている面々も、公式には「羽柴(徳川)家康」「羽柴(前田)利家」「羽柴(宇喜多)秀家」「羽柴(毛利)輝元」「羽柴(上杉)景勝」で、それ以外の主要メンバーも「羽柴」のオンパレードだったのですねえ。
弟・秀長や嫡子・秀頼を除くと、一時は後継者として関白の地位にあった秀次や、せいぜい小早川秀秋や宇喜多秀家、結城秀康ぐらいまでが「羽柴」一族という認識だったのですが。
この「羽柴」を名乗った時期によって、その大名が「羽柴(豊臣)政権」に取り込まれた時期がわかりますし、書状の署名順や官位によって公的な立場や、秀吉からどれだけ重んじられていたかもわかる、という仕組みになっています。

後に徳川幕府は有力な大名に「松平」姓を与えて一族化していきますが、それと同じことを既に秀吉がやっていたということなんですが、当然のように徳川政権になって以降、例えば関ケ原の合戦や大坂の陣を境目に「羽柴」姓を捨てる大名が続出するのも頷けるところ。
大名の改名は当たり前でしょっちゅう名前の変わる人も少なくないですが、それによって政権の移り変わりも窺える、というのは面白いと思います。


by odin2099 | 2017-09-27 19:27 | | Trackback | Comments(0)

「きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感触を、筆に写してたれにか見せん」(森鴎外『舞姫』) HNは”Excalibur(エクスカリバー)”


by Excalibur
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