この物語は白色彗星帝国との戦いの一カ月後から始まる
――と冒頭のナレーションで説明されるが、西崎Pは「重症の患者が退院するには些か早すぎる」と反省の弁。
しかしそれよりも気になったのが、2201年10月に始まった『宇宙戦艦ヤマト2』のドラマの終了から一カ月経つと、もう
2202年になってしまうのではないか?ということ。
途中で停止したりスピードアップしたりもしたものの、白色彗星が地球に到達するまで60日とかいう台詞がなかったか。
そんな細かいことを気にしてはいけない『宇宙戦艦ヤマト』の新作。
映画
『さらば宇宙戦艦ヤマト/愛の戦士たち』ではなく、分岐したTVシリーズ『宇宙戦艦ヤマト2』の時間軸上の世界で、初めてのTVスペシャルとして作られ夏休みに放送された。

西崎Pの当時の発言からすると年末からお正月にかけて劇場公開も念頭にあったようだが、元々そういう構想があったのか、それともTVスペシャルの製作が先に決まって「それならば」と色気を出したものなのか、今となっては詳細不明?
また時間枠をオーバーしてしまったために20分程度切り詰めたものが放送されたのだが、劇場公開は全長版を予定していたようなので、これが実現しなかったのは残念。
どうやらその後、フィルムは散逸してしまったようだが…。
物語は『ヤマト』の新作ではあるが、どちらかというとデスラーを主役にしたスピンオフの印象が強い。
新乗組員を迎えてワチャワチャやってる楽しさはあるものの、ドラマ部分の比重の大半はデスラーに置かれている。
こういった作品作りが後続の作品群に与えた有形無形の影響はかなり大きいのではないかと思う。
一方で安易なキャラクター人気に頼った作品の濫造に一役買った面は否定できないし、せっかくのヤマト側に用意されていた新乗組員の成長のドラマも今一つ描き切れていない部分が。
そして、そのドラマ部分に酔ってしまうので思考停止に追い込まれてしまうのだが、実は今回のヤマト=古代の行動はかなり危険。
イスカンダル(に介入したデスラー)の救援要請を受けての出動、という形になってはいるものの、暗黒星団帝国とガミラス、イスカンダルとの紛争に、宣戦布告もなく奇襲攻撃の形で軍事介入しているからだ。
ガミラス、イスカンダル共に地球と軍事同盟を結んでいるわけでもなく、地球=ヤマトは全くの第三者であるにも関わらずだ。
また暗黒星団帝国の目的がイスカンダリウムとガミラシウムという宇宙間戦争に必要なエネルギー源となる鉱石の採掘だと知ると、戦争のためのエネルギー入手は許せない、と古代は断罪する。
だがこれも暗黒星団帝国側の事情をまるで分からない状態で判断して良いものかどうか。
例えばこれがパート1の時の地球のように滅亡の危機に瀕していて、起死回生の一打を放つために必要不可欠なものだったとしたらどうなのだろう?
それでも「許せない」と言い切ることが出来るのだろうか。
久しぶりに、しかも「斜めに」見ていたら、こういったことが色々と気になるようになってしまった。
まあ一番すごいのは暗黒星団帝国の情報収集力の高さだろう。
遭遇してすぐに「ヤマト」という艦名とその所属する母星の位置、また艦首波動砲の存在などを知っているのだから恐るべし。
その一方で、デスラーたちガミラス残存艦隊の正体には最後まで気付いていなかったように見えるその落差は一体…?
【ひとりごと】
イスカンダルの女王は「スターシャ」と書いて「スターシア」と読む。
リメイク版の『2199』以降に感じる違和感はこれが原因だが、何故か今回、古代守だけは終始「スターシャ!」と呼んでいる。
なぜアフレコの際にリテイク出さなかったのか。
<過去記事>
http://odin2099.exblog.jp/2906841/http://odin2099.exblog.jp/17552800/