人気ブログランキング | 話題のタグを見る

『海のトリトン』PART2

宇宙戦艦ヤマトさらば宇宙戦艦ヤマトの二本立てに、海のトリトンもついた<宇宙戦艦ヤマトフェスティバル>
当初は70分で全27話をまとめる予定が、結局前半部分のみ。
後半もいつか必ず公開します、との宣言もあったものの実現せず、後年になってビデオやLD、そしてDVDで前後編セットで見る機会を得た。

<宇宙戦艦ヤマトフェスティバル>公開は1979年7月14日だから、来年は30年になるんだなあ。
今年はカレンダーの配列が1979年と同じなので、なんか懐かしい。
7月31日の火曜日には『宇宙戦艦ヤマト/新たなる旅立ち』が放送され、8月4日土曜日には『銀河鉄道999』が公開され……
まあ、思い出話はこの辺で。

『海のトリトン』PART2_e0033570_09140253.jpgさて、その<ヤマトフェスティバル>で上映されなかった後編ですが、太陽や青い空に憧れるポセイドン族の少女ヘプタポーダや、ポセイドンの呪いによって死ぬことのできない身体にされてしまったシーラカンスのラカンの悲劇、そして最後に明かされるトリトン族とポセイドン族の因縁話、とドラマティックな展開が目白押し。
特に善悪の価値観を逆転して見せたクライマックスのどんでん返しは、リアルタイムで見ていた人たちにはショックだったろうな、というのは想像が付く。

また作戦が失敗続きで、自らの命と引き換えにトリトンと戦い敗れ去っていくのは兎も角、トリトンを取り逃がしたことであっけなく粛清されるポセイドン族の幹部、といった描写にも、子どもに慮らない冷徹な視点が窺え、やはり後に残る作品には何か光るものがあるのだなと唸らされる。
このあたりは演出(事実上の”総監督”)富野由悠季の面目躍如といったところか。

そういえばこの劇場作品、実は監督クレジットがない。
冒頭にはプロデューサー西崎義展からのメッセージとして「テレビシリーズを、映画監督舛田利雄とともに新たに構成したもの」とのテロップが出るが、エンドクレジットでのこの二人の肩書は片や「総指揮」、片や「監修」で、何れも実作業に携わった者のものではない。

ではテレビシリーズの総監督とメインライターはというと、「構成」として松岡清治と富野由悠季が連名でクレジットされているが、どこまで関わっていたものやら。
ようやく「演出」として棚橋一徳の名前がその後に出てくるが、主に編集段階でのタッチなような気もするし。

また「演出」というなら、テレビシリーズ版のオープニングをそのまま流用した劇場版のオープニングでもそのまま富野由悠季の名前がクレジットされてはいるが、それをこの劇場版全体のものとして見るのはかなり乱暴な話だろう。

ということでこの映画の責は誰に帰せしむべきなのだろうか。

<過去記事>

by odin2099 | 2018-07-14 05:17 |  映画感想<ア行> | Trackback | Comments(0)

悪文礼賛


by Excalibur(エクスカリバー)
カレンダー