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『1000年女王』

銀河鉄道999から1000年女王へ」というコピーは好きじゃなかったなあ。
「999の次は1000」と単純に受け取られちゃうだけだと思ったから。
その方がわかりやすいのは確かだけど、やっぱり実際は「ふーん」「へー」でそのままスルーされて終わっちゃったような…。

で、『さよなら銀河鉄道999』の次は劇場版『1000年女王』。
原作漫画やTVシリーズとは違って「新竹取物語」の冠はナシ。ラーメン屋さん(と同時に雪野弥生の養父母)の設定がなくなったからなんだろうけど、メディアミックスの先駆け『1000年女王』はヴァリエーションがあり過ぎて、そのことで差別化を図ろうとしたのだとしたら失敗だ。

『1000年女王』_e0033570_15270269.jpgまた「999から1000年女王へ」は両作品に密接な関係があることを踏まえたものだが、完成作からその繋がりを読み解くことは難しい。
キーワードは「プロメシューム」、そして「ラーメタル」だが、そのことに気付く人がどのくらいいたことやら。
結局のところ、ヒロインである雪野弥生が最後に死んでしまうので、そこで物語は断絶してしまうのだ。

この作品の公開前後では『1000年女王』、『わが青春のアルカディア』『銀河鉄道999』、『さよなら銀河鉄道999』は<宇宙の海の物語>を形作る四部作という触れ込みだったが、『999』の正続二篇を除けばストーリーの連続性は感じ取れない。
弥生がメーテルであれ、メーテルの母プロメシュームであれ(雑誌連載スタート時には「弥生=プロメシューム」と明言されていたが、映画公開時には「弥生=メーテル」と断言され、後に再び「弥生=プロメシューム」に設定変更された)、劇中では明らかにされず、宣伝文句などで煽っておきながらファンが深読みするレベルで終始してしまったのには落胆させられた。

まあそれでも喜多朗の音楽を背景に、終盤の感動の押し売りにはまんまと乗せられ、見直す度に涙腺が緩んでしまう。
セレンの死、女王の正体バレ(原作やTVと違い、弥生が1000年女王であることは伏せられたままドラマは進行していく)から夜森の死、ミライの犠牲から歴代女王の復活、そしてラーレラと弥生の対決、ファラの自己犠牲…とこれでもか、これでもかと畳みかけるエモーショナルの大波に、すっかり翻弄されてしまうのだ。

不満は数あれど(いや、だからこそ?)、この作品は「まい・ふぇいばりっと・むーびー」の一本であり続けるのだ。

<過去記事>



by odin2099 | 2018-09-22 15:27 |  映画感想<サ行> | Trackback | Comments(0)

「きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感触を、筆に写してたれにか見せん」(森鴎外『舞姫』) HNは”Excalibur(エクスカリバー)”


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