劇場版『機動戦士Zガンダム』三部作の完結編。
TVシリーズの3クール目から4クール目を1時間半で一気に見せる。
サラ・ザビアロフとカツ・コバヤシ、カミーユ・ビダン、それにパプテマス・シロッコの関わり合いを大きく取り上げたので、割を食ったのがロザミア・バダムとフォウ・ムラサメ。
特にロザミアはカミーユとどこでどういう接点があったのかわからないまま、最終決戦でカミーユに助力する羽目に。
レコア・ロンドとエマ・シーンの比重も大きいが、相変わらずレコアがエゥーゴからティターンズ(というよりシロッコ)へ鞍替えした理由がわかりづらいし(一応クワトロ・バジーナとの溝が出来て行くシーンは盛り込まれているが)、エマとヘンケン・ベッケナーとの関係にも時間が割けなかったようで、どちらもTV版を見ていない人には些か不親切である。

またこの劇場版では早い段階でカミーユたちがクワトロ=シャア・アズナブルであることを知っているからなのか、議会でクワトロが自らをキャスバル・ダイクン=シャアだと名乗るシーンがない。
エゥーゴの勢力拡大を目論んだこの議会演説を成功させるため、アムロ・レイがカミーユと共に議事堂を守るべく奮闘するシチュエーションが個人的には好きだったので、それが割愛されたことには落胆した。
その分シロッコとハマーン・カーンの描写が際立っているのならば良かったのだが、やはりこの二人に関しては移り気の日和見主義者に見えてしまうのが惜しい。
シロッコ、ハマーン、そしてシャアの3人の立ち位置がハッキリと見えれば『Zガンダム』の物語上の構造もわかりやすくなり、より作品を万人が愉しめるようになったのではないかと思うが、多くを語らずに見せることを選んだのだろう。
カミーユは精神崩壊を起こすことなくシロッコを屠り、ハマーンはミネバ・ザビを伴い一時退却、そしてシャアは行方不明。
最後にはカーテンコール宜しくアムロ、フラウ・コバヤシ、キッカ・コバヤシ、レツ・コバヤシ、ミライ・ノア、カイ・シデン、それにセイラ・マスも顔を見せてハッピーエンド(あれ?ハヤト・コバヤシは?)。
『機動戦士ガンダムZZ』にも『機動戦士ガンダム/逆襲のシャア』にも繋がらず宇宙世紀の輪を断ち切って、『機動戦士ガンダム(ファーストガンダム)』の完結編として機能してしまった本作を、さてどう扱ったら良いものやら。
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