「スター・ウォーズ」がヒットし続編の製作が発表された時に驚いたのが、それがいわゆる「スター・ウォーズ2」じゃなく「エピソード5(第5話)」だと明言されたこと。
第4話から6話までの三部作を作ったら、時代を遡って第1話から3話まで作り、その後に7話から9話を作って完結させる、という話にワクワクしたもんである。
余談だが、同じジョージ・ルーカスのもう一つの人気シリーズも、実は同じ構成。
1作目の「レイダース/失われた≪聖櫃≫」は1936年の話で、2作目の「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」はその前年の1935年、そして完結編の「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」は1938年が舞台、という具合。
ルーカスの好みなのだろう。
実際はここで終わらずに1957年を舞台にした「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」が作られ、今は更なる続編が準備中。
公開予定日は度重なる延期の末、現在は2021年7月9日とのこと。
パラマウント・ピクチャーズのロゴと実景の山とがオーバーラップして始まるのがシリーズのお約束だったが、ディズニーからのリリースでさてどうなるか?
閑話休題。
ところが第6話にあたる「ジェダイの復讐(帰還)」が公開されたものの、その後の製作に関しては一向に音沙汰なし。やっと第1話の「ファントム・メナス」が公開されたのは、なんと16年後だった。
そして今度は「全9作なんて言ってない。全6作でオシマイだ」というルーカスの発言に二度ビックリ。
というワケでこの「シスの復讐」が公開された時は、「スター・ウォーズが完結する」という安堵感と同時に、「もう二度と劇場で新作を見ることは出来ないんだな」という言い知れぬ寂寥感を味わったものである。
最近、「アベンジャーズ/エンドゲーム」を見た際にも同じような感慨にとらわれたっけ。
さて、旧三部作(第4話から第6話)を見ている時のイメージは、ジェダイ=正義、シス=絶対悪であり、帝国の圧政は民を苦しめ、共和国は平和な理想的な世界というものだったのだが、新三部作(第1話から3話)を見てると必ずしもそうも思えなくなってくる。
ジェダイは保守的というよりも、旧態依然で閉鎖的で時に独善的。
シスの方は必ずしも享楽的ではなくむしろジェダイ以上に禁欲的な面も。そして考え方も柔軟。
例えば愛する人が死を迎えようとしているとき、何とかしてその死を回避する方法を見つけようとするのがシス。
一方その死を平然と受け入れられるように、悲しみを感じないように心を鍛えよというのがジェダイの教えだ。
どちらが凡人にとって納得しやすいか。少なくてもシスの考え方の方が人間臭い。
という感情面で押していけばアナキンも、「ジェダイの裏切り者」「幼い子供をも手にかけた虐殺者」とはならず、すんなりとシスへ転向していたかもしれないが、そこがこの作品のドラマ面の弱さ。
というかそこまでを求めるレベルにこの作品はなく、もっとわかりやすさや単純さを強調しているだけなのだろうが。
結局のところアナキンはシスの教えに同調したわけではなく、ただパドメを救う力を欲しただけで、その結果パルパティーン、いやダース・シディアスに取り込まれてしまった己の弱さや短慮を誤魔化すために、ジェダイの教えが間違ってるだの、自分の成長を妨げるだの屁理屈をこねて自己正当化し、逆ギレして師であるオビ=ワンに対して「あんたが憎い!」と八つ当たりする始末。ガキだね。
シディアスも、ダース・モールやダース・ティラナス(ドゥークー伯爵)より御しやすいと踏んだんだろう。
暗黒面に堕ちシスと化したアナキン=ダース・ベイダーは、最終話(この時点での)である第6話でフォースのダークサイドからライトサイドへ”帰還”を果たし、見事に「フォースにバランスをもたらした」ことで予言を成就し、メデタシメデタシで幕を閉じたのだが、近年になってシリーズが再開されたことで再びバランスは崩れた。
今度こそ最終話になるらしい(といっても別の物語はすぐ始まるようだが)第9話で、はたして真にフォースにバランスはもたらされるのか。そしてそれは誰の役目なのか。
ここまで行き当たりばったりで作ってきてるようなのが非常に気にはなるのだが、どんなオチを付けてくれるのか、シリーズのお浚いを続け乍ら待つとしよう。
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