『紅の豚』(1992)
2020年 10月 30日
宮崎駿のナルシストぶりが鼻につく怪作(苦笑)。
この作品だけ見るのならば駄作ということもないのだが、ずっと作品を見つづけていると偉大なる宮崎パターンの枠にはめられているのが気になって素直に愉しめない。
その象徴がフィオナの存在で、一見すると守られるべきヒロイン風でありながらも、実は男勝りの行動派というのは確かに魅力的ではあっても、それまでのヒロイン像を重ね合わせるとまたか、というところ。
またフィオナ以上にジーナがこの典型的キャラクターで、結局は何もしないのね、彼女。
ホントの象徴としての存在ということで。
要は、愉しむ愉しまないは、趣味剥き出しの世界にのめり込めるか辟易するかの差でしかないのだが。
ところで作品中では、マルコが何故豚になったのかは一切語られていないし、その後どうなったのかにも触れていないのは、画竜点睛を欠くというかサービス心が足りないというか…。
それをしも「余韻」と言い切ってしまうのは贔屓の引き倒しだろうし。
以上、「しねま宝島」からの転載。
なんか久しぶりに見てみようという気になったのだけれども、思ってたよりも愉しめた。
自分が年喰った証拠なのかな。
気になると言えば、30代半ばという設定のポルコ(=マルコ)の声が森山周一郎なこと。
ポルコとしてならまだしも、マルコの声だと考えるとどうも…。
マダム・ジーナ役の加藤登紀子はまだ違和感ないのだけれども。
そういえば加藤登紀子って、ある世代には憧れというか特別な思い入れがあるようで。
松本センセも「ダークィーンの声は加藤登紀子」と明言していた(けれど、作品が実現しなかった)し、実際に実写映画「元祖大四畳半大物語」とCG映画「キャプテン・ハーロック」の主題歌は加藤登紀子に依頼してるしなあ。
【ひとこと】
宮崎駿はこの作品だけは「続編を作りたい」という趣旨の発言をしていたけれど、未だ実現していない。