『ゴジラVSデストロイア』
2021年 01月 14日
一度は「VSメカゴジラ」で幕引きを図り、続く前作「VSスペースゴジラ」はシリーズの要素をみんなぶち込んだ集大成を目指し、それを超えた先でようやっとたどり着いた最終作、といったところ。
ゴジラの最期を描くのだから、それに相応しいアイテムとしてオキシジェン・デストロイヤーが登場。
新怪獣デストロイアも、このオキシジェン・デストロイヤーによって生まれたとも言える因縁の相手だ。

そのために物語は何度も山場を迎えるのだが(特にゴジラ・ジュニア絡みで)、そこでお預けを食らうのみ。
とにかくゴジラの死を描く場面までは、盛り上げはするものの、言ってみれば寸止め状態で終わってしまう。
そしてゴジラは荘厳な最期を迎えるのだが、本作のキャッチコピーは「ゴジラ死す」だが、結局のところ「ゴジラは死なず」。
シリーズの締めくくりとして用意された台詞が幾つか出てくるものの、最後に映し出されるのは新たなゴジラの姿。
シリーズはまだまだ終わらないぞ、と高らかに宣言してエンドロール。
そういう意味ではこの作品も「終わる終わる詐欺」の一本だ。
だがこの映画を見る人の中で、この作品で「ゴジラ」が終わるんだと本気で信じていた人がどれくらいいたのだろうか。
「ゴジラ」を少しでも知っている人ならば、絶対にシリーズが終わりっこないと知っていて、なお”ひとまずの”ゴジラの最期を見届けようとしたのだと思うが。
この後シリーズは中断期間を経て案の定というより予定通り(いや厳密にいえば予定より早く)復活を遂げるのだが、通称<ミレニアム・シリーズ>と呼ばれる後継作品群は、基本毎回設定をリセットして作られた。
連続モノだった<平成シリーズ><VSシリーズ>とは差別化を図った格好だ。
常に「これまでの作品はなかったこと」にされ毎回新鮮な気持ちで見られる、過去作にとらわれない様々な切り口の「ゴジラ」が楽しめるという利点があったわけだが、その一方でキャラクターの掘り下げという点では時間不足で物足りなさも感じていた。
連続モノに慣れていたせいもあったのだろう。
一方で、毎回世界観をリセットならば、一本ぐらいこの作品世界の延長線上の作品があっても良かったかな、という気もする。
復活なったゴジラ・ジュニア改め新生ゴジラは、これまでのように人類の恐怖となるのか、それとも人間との交流経験を記憶として持っているならば”人類の味方”と呼べるような頼もしい存在になっているだろうか。
かつての<東宝チャンピオンまつり>時代に戻ったような形になるかもしれないが、それはそれで見てみたかった。
そしてこの時点でリバイバル怪獣としてヘドラやガイガン、メガロなんかを出していても面白かったかも、とは考えてみたものの、やはり受けなかっただろうなというのは想像がつく。
<過去記事>
https://odin2099.exblog.jp/10994413/