『ディエゴ・マラドーナ/二つの顔』(2019)
2021年 02月 14日

実のところ日本でJリーグが誕生し、ワールドカップへ出場できるか出来ないかで盛り上がっていた頃にようやくサッカーに興味を持ち始めたもので、マラドーナというと”スーパースター”というより”トラブルメイカー”の印象の方が強い。
そこで一体彼はどんな男なんだろう?という興味でこの映画を鑑賞。
生い立ちや母国アルゼンチンでの活躍はさらっと流されるだけだったが、貧しい家庭に生まれ育ち、長じてサッカーの才能を認められてプロ入りするとたちまち大活躍。
名声と大金を手に入れると派手な生活を送るようになり、やがて愛人との間のスキャンダルや黒い連中との繋がりが噂されるようになり、薬物に手を出し…という絵に描いたような転落人生。
ただ映画の視点はマラドーナに同情的だ。
彼の転落の一因として、1990年に行われたイタリアでのワールドカップが上げられている。
地元チームを優勝に導いた立役者としてマラドーナは神の如く崇められていたのだが、アルゼンチン代表として出場した彼は、その地元ナポリでの準決勝でイタリアチームと対戦する羽目になったのだ。
結果はアルゼンチンが勝ち、マラドーナは凄まじいブーイングを受け、反マラドーナの勢いは決勝戦での戦いに大きな影響を与えるに至り、アルゼンチンは優勝を逃す。
これでマラドーナと地元との関係がギクシャクしだし、”街の保護”を失ったマラドーナは薬物と売春への関与を疑われ、あっという間に頂点から転げ落ちるのだ。
邦題にある「二つの顔」とは、純粋にサッカーを愛する男”ディエゴ”と、周囲に対して常に強気で振舞う”マラドーナ”、その二つの人格が彼の中にある、という彼のトレーナーの言葉から採られている。
初めは”ディエゴ”だけだったが、弱みを見せまいとマスコミに対する”マラドーナ”が生まれ、やがてバランスを崩して”マラドーナ”のみが前面に出てくるようになる。
彼の夫人も「段々と自分の知らない部分が表面化してきた」とコメントしている。
そして映画は”ディエゴ”が真の姿で、”マラドーナ”は虚像だという立場で描かれているのだが、ここは(映画としてのまとまりには欠けてしまうが)違う視点からの描写も欲しかったところだ。
ただ、単なる”お騒がせ屋”ではない、実に人間臭い男の姿がここには映し出されている。