『魔女の宅急便』(1989)
2022年 10月 22日
しかし一歩間違えればこれがジブリ最後の作品になっていた可能性もあり、これは”宅急便”ヤマト運輸と日本テレビのバックアップのおかげとの噂。
今じゃジブリといえば日テレ、「金ロー」というイメージが強いけれど、最初に関わったのはこの作品から。
作品の評価は別としてジブリ作品は(『風の谷のナウシカ』を含めて)興行的には今ひとつという状況が続き、現に『ナウシカ』と『ラピュタ』を配給した東映はこの作品を最後に手を引いたほどだ。
以後の作品は『ホーホケキョ となりの山田くん』を除けば『火垂る』&『トトロ』の東宝が手掛けることになるのだが、結果的にこれがドル箱シリーズとなるのだからわからないものである。
東映が逃した魚は大きかった?
ちなみに唯一松竹が配給した『山田くん』はジブリ最低の興行収入だったから、ここは東宝の商売の上手さを褒めるべきか。
魔女は13歳になったら独り立ちし、他所の街で一年間修行しなければいけないというしきたりに則り、ある晩キキは黒猫のジジを連れて出発。
海沿いにある大きな美しい街を見つけここで暮らそうとするのだが、街の人々はどこか余所余所しい。
そんな時、偶然通りかかったパン屋のおソノさんに気に入られたキキは、彼女の好意で居候させてもらいながら、宅急便の仕事を始めることになる。
――というアニメ版の話は角野栄子の小説とは発端部分はともかく、中盤以降はかなり別物らしく原作者とは対立があったとも聞くが、ジブリの原作クラッシャーぶりはこの頃からあったわけだ。
そろそろ原作、読んでみようか。
公開当時に映画館で見て(といっても7月末に公開されたのに、実際に見に行ったのは10月半ばだったから、周りの反応を見て・聞いてから鑑賞を決めたということだろう)、それから10年ぐらい経ってからテレビで放送してるのを見て、そして更に20年ぐらい経ってから今回見直したということになるから随分久しぶりだ。
実はもっと頻繁に見てたという記憶があったのだけれども、きっとテレビでやった時に部分的に見てたり、流し見をしていたからなのだろう。
とにかくメモによれば、ちゃんと見るのは20年ぶり3度目ということになるらしい。
その公開当時のメモを見ると、「ストーリーが平板で終わり方が唐突」とか、「こんな出来でも褒められちゃうんだから、ブームは異常だ」とか結構辛辣なことが書いてあった。
あと「夏に東映系のアニメ映画を見ないと、夏が来た気がしない」とも書いてあって、かつては『宇宙戦艦ヤマト』に始まり、『銀河鉄道999』などの松本零士作品を見るという習慣が77年から82年ぐらいまであり、その最後が86年の『ラピュタ』だったのでこの『魔女の宅急便』にはそれらの再来としての懐かしさを覚えていたのだけれども、「やはり時は戻らない」と記してあったのは期待外れだったからだろう。
で、久しぶりに見てみたのだが、案外おもしれーじゃん。
ただねえ、冒頭のユーミンの歌だけはダメ。
ファンタジー世界を愉しもうと思ったらいきなり俗っぽい曲が流れてくるし、しかも既製品。
それだけでこの作品の価値は大きく下がってしまう。
エンディングの方がまだ許せるかなあ。
いや、ユーミンそのものがダメだと言ってるのではない。
この映画のために書き下ろした”主題歌”だったら良かったのに、と今でも思っている。
日常生活を舞台にしているわけでもないのに、なんでこの曲にしたかな。
映画から完全に浮いちゃっている。
あとはトンボがウザいとか、キキは意外と重たい女だとか、この先の展開が思いつかないから、無理矢理クライマックスにスペクタクルシーンを持ってきました、みたいな構成の歪さとか、感情が盛り上がったところでぶった切ったラストシーンとか、気になる点は多々あれど「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」のコピー通りの作品には仕上がってるのでマル。
ただ、ジジが喋らなくなった理由がほったらかしなのは納得いかない。
ジジはキキのイマジナリーフレンドだったとか、元々キキの心の声の反映でキキの成長を描いているんだとかいろんな解釈してる人はいるけど、重大なイベントとして用意したんだから答えがないのは不親切だ、と思う。
ところで序盤に登場する先輩の魔女。
イジワルだ、嫌いだと散々な言われようだけど、そんなに嫌なヤツかなあ。
ちょっとお澄まししてるけど、別れ際は嫌味じゃなくて励ましてるようだし、ツンツンしてても割といいヤツじゃん、と思うんだけれどねえ。
【ひとりごと】
キキとウルスラの一人二役が高山みなみで、ボーイフレンドのトンボが山口勝平。

でも、俺はむしろこの映画の一番良いところが、主題歌に既製品を選んだところなんですよね。しかも、この世界観に合っている(と俺は感じています)。昔は何とも思わなかったこの曲が、今はこの曲を聴くと、あの世界が広がって楽しくなるんですよね。今ではユーミンで一番好きな曲です。
そういえばキキが話さなくなった理由ですが、ジブリ(鈴木P)の公式な回答はあります。それがいわゆる「元々キキの心の声の反映でキキの成長を描いている」というやつですが、出来れば劇中で描いて欲しかったですけどね。
「やさしさに包まれたなら」はまだ良いんですが、「ルージュの伝言」は…。
分かってはいましたけど、映画館でガックリきました。
ジジが話さなくなるというのは原作にもあるっぽいですが、そちらではどう説明してるんだろう?
キキの心の声だとすると、隣家の猫を気にしたり、なくしたぬいぐるみの身代わりになってるあたりのジジの台詞が妙なことになるので後付けくさいんですけどね。
<ライラの冒険>のダイモンみたいなものなんでしょうけど。

「やさしさに包まれたなら」はEDで、OPは「ルージュの伝言」でしたっけ。ラジオから流れてくる曲ですよね。
主題歌に相応しいかどうかという基準ではないけど、
俺にとってユーミンは好きだけどCDを買うほどではなく、聴くとしたらTVかラジオなので、例えば自分の車でラジオからBluetoothに変更しようとしたときにこの曲がラジオから流れてきたら、この曲が終わってから変更しよう。
・・・俺にとってはそういうの曲なので、この場面や時代設定(明確ではないけど今から数十年前のような世界観)に、この曲は合っている!とは感じています。
でも仰るように、例えこの場面には相応しくても、映画の主題歌として考えた場合はオリジナルの方が、より没入しやすくなる気はします・・・が、インパクトがあって記憶に残る曲ではありますね。
原作も読んでるけど1巻だけなので、その場面は読んでいません。ネットで調べると、原作はキキが恋をしたことがキッカケでジジと話せなくなるらしいですね。今までは相談相手がジジしかいなかったけど、魔女の仕事で様々な人との関わりが出来た・・・みたいな解説を読みました。
明らかに現代日本じゃない世界で、ラジオから流れてくる曲がユーミン?
という違和感が拭えなかったということですね。
しかも内容は恋人同士の痴話げんかみたいな内容で、キキには全くそぐわないし。
一方のエンディングはそれほど気にならないというか、敢えて気にしないようにしてました。
でないと作品を全否定することになりそうだったから。