『THE END OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に』(1997)
2023年 05月 22日
ところが製作が間に合わず『REBIRTH』編は中途半端な形での上映になってしまい、仕切り直しで『THE END OF EVANGELION』として再度公開。
第25話「Air」と第26話「まごころを、君に」の二本立てになっている(但し25話と26話の間にエンドロールが流れ、26話はエンドロール無しで「終劇」の文字で終わる)。

ただこの流れは総集編の『DEATH』だけ見てもどう繋がっているのかはわからず、やはりテレビシリーズ24話分を踏まえないとついていけない。
また、人類が補完された世界でシンジは自他の内面世界と向き合うことになるのだが、結局これはテレビ版最終回を形を変えて再表現したもの。
アプローチの仕方が異なるだけなので、テレビの最終回に不満だった人がこの”真の最終話”を見て満足するかというと、おそらくノーという人の方が多いのではないか。
最終的には全滅エンドからの人々の転生(?)、とも取れる流れになるのだが、これはある意味であの『伝説巨神イデオン』を超えた作品なのかも知れない。
あちらに比べるとこちらは極めて個人的な帰結となっているのだが。
【ひとりごと】
『シト新生』のラストには「魂のルフラン」が流れる。
「え、ここで終わり?」と驚いた記憶があるが、仕切り直しとなった今回の主題歌として採用されたのは「THANATOS/IF I CAN'T BE YOURS」。

関連性は不明だし、どこが何に似てるなんて言い出すとキリがないけど、庵野さんが永井豪さんに「エヴァは結局デビルマンの呪縛から逃れられませんでした。」と告白したのは、そういう意味もあるのかな?と勝手に解釈しております。
確かに「マジンガーZ」よりは「デビルマン」だと感じました。
永井豪作品では既に「ハレンチ学園」でも、主人公側が権威側に無慈悲に殺害されるというシーンがありましたけど、意識せずとも構造的に似てしまうこともあるでしょうね。
多感な時期に接した作品群による刷り込み効果というか。

昨日たまたま、
コメントに書いた庵野さんと永井豪さんの対談を読み返したら、エヴァを発想したキッカケはマジンガーZを現代(1995年頃)風に作ったらどうなる?だった。とありました。エヴァが地下から上がっていくのも浄水処理場が元ネタで、その後、設定や物語にデビルマンの要素を盛り込んでいったみたいです。
他にも、具体的な記載はなかったし永井豪へのリップサービス的な意味合いがあったかもしれないけど、魔王ダンテや手天童子の要素も無意識に入れていたかも?みたいなことを語っていました。ハレンチ学園の要素もあったかもしれませんね。
ここからは俺の勝手な妄想だけど、シンジは合体前の不動明で、初号機はデビルマン。暴走するとアモンになり、覚醒するとサタンになる。牧村美樹は、外見がレイに、性格がアスカに分かれたイメージで、渚カヲルは能力を失った飛鳥了。
・・・みたいに考えると、意外とハマるなーなんて勝手に思ってました。

碇ゲンドウを忘れてました。
碇ゲンドウは牧村美樹を失った後の不動明だけど、美樹を生き返らせるために、神(サタン)か悪魔(アモン)のチカラを得ようとしていて、エヴァ(デビルマン)を導く飛鳥了になった。
・・・みたいにイメージをしています。
長々と失礼しました。