『ゴジラー1.0』(2023)
2023年 11月 07日
ゴジラ70周年&30作のダブルアニバーサリー作品。
厳密には来年が70年だが、細かいことは置いておく。
アニメ作品を除けば『シン・ゴジラ』以来8年ぶりの国産劇場用作品ということになる。
復員後に偶然赤子を連れた典子という女性と知り合い、成り行きで共に暮らすことに。
次第に疑似家族としての絆が生まれ、より良い生活を求めて危険な任務に従事するようになった敷島は、更に巨大化・狂暴化したゴジラを目撃してしまう、というストーリー。
様々なトラウマを抱えた敷島がもう一度ゴジラと、そして自分自身と向き合って葛藤を乗り越えることが出来るかというドラマと、もう一つは武装解除された戦後の日本が、はたしてゴジラを倒すことが出来るのかというドラマが並行して描かれていく(在日米軍は、ソ連との関係が緊張状態なため、余計な刺激を与えないように表立って行動出来ない、という理由付けがなされている)。
神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介と主要キャストが何れも”昭和”を感じさせる顔つきなのが良い。
初代ゴジラだけでなくエメリッヒ版へのオマージュも感じさせ、新たなオリジンストーリーとして納得出来る作品にはなっている。
ただゴジラが単なる舞台装置になってしまい、都合良く現れて都合良く去っていき、ゴジラそっちのけで人間ドラマが展開されることは気になった。
これは『シン・ゴジラ』も同様なのだが、もっとゴジラそのものを描写して欲しいし、ゴジラありきのストーリーであって欲しいと切に願う。
これは単純にゴジラが映っている時間を増やせという意味ではない。
単に映ってる無意味なカット、ショットは映画のテンポを損ねるし、見ていてダレるだけだ。
そしてこれは戦争映画だ。
直接戦時中の、”戦争”そのものを描いてはいないが、戦争体験をメインに扱った作品であり、登場人物たちは大なり小なり生き残った負い目を感じ、”戦争2を引きずって生きている。
そして絶対に死ぬ先の戦争に比べると、僅かながらも生還の可能性が残されている対ゴジラ掃討作戦に参加することで、自分の中の”戦争”にケリを付けようとする物語だ。
そして後半の重苦しい展開と、その後に待っているご都合主義のハッピーエンド(主人公に試練を与え、それを乗り越えた先の救済ということか)。
例えば脱出装置の件は、敷島は知らずに飛んでいた方が良かった。
これが橘から敷島への免罪符になっているのもわかるが、ここは本人に知らせず、敷島の行動を見越した上で橘が仕掛けていた、とする方が橘の人間としての大きさにも言及出来たように思うのだが。
確かに面白い作品ではあったが、「怪獣映画」「ゴジラ映画」としての愉しさではなかった。
『シン・ゴジラ』を見た時も感じたことだが、その「怪獣映画」「ゴジラ映画」から逸脱した部分を愛でることが出来た『シン・ゴジラ』に対し、どうしても拒絶反応が出てしまうのがこの作品。
好きか嫌いかと問われたら、決して「好き」とは答えられないだろう。
それでももう一回くらい見に行こうかと考えてはいるのだが。
【ひとりごと】
浜辺美波のラストカット、何か気になる。
首筋に見えたもの、これは何かの伏線?暗示?隠喩?
それとも気のせい?
巷ではあのアザは「G細胞ではないか?」との考察がされておりました。
あの爆風で吹っ飛ばされて普通に生きてるのは有り得ないので、爆風で彼女の身体は損壊し即死しましたが、それと同時に爆風によりG細胞がたまたま彼女に付着し、その能力によって再生し生き返った。こう考証されてます。
「彼女の首のアザが若干動いている」との指摘もあるのでやはりG細胞によって生き返ったんだと思いますね。
G細胞は他の生物とゆうこした際にその生物の細胞を完全侵食すると言われているので、「恐らく蘇生した彼女の肉体もいずれはG細胞に侵食されてしまうのではないか?」と話題になっています。
そう考えたらあのラストシーンが決してハッピーエンドではない可能性画あります。
神木隆之介も黒い雨を浴びているので…
コメント、ありがとうございます。
重症とは言いながらも生き延びたあたり、やはりそう考えるのが自然ですよね。
ゴジラ自身も決して死んだわけではないさそうですし、そうなると彼女自身が第二のゴジラ、リトルゴジラみたいな存在になるとは思いませんが、人ならざる者に変貌してしまうとかはありそうです。
それと意図的なのか放射能の存在に触れていないのも気になりました。
敷島だけでなく、作戦に従事した連中は程度の差こそあれ皆被曝してるように見えますし、これがこの世界での第五福竜丸事件になるのかも。