『スリーピングビューティー/禁断の悦び』(2011)
2024年 02月 01日

最初は下着姿での接客だったが、やがて睡眠薬を服用し全裸で眠りに就くだけという謎めいたものへと変わっていった。
次第にルーシーは、眠っている間の自分に何が起きてるのかが気になるようになり…
という、川端康成の『眠れる美女』を、”買う”老人視点ではなく”買われる”女性視点でとらえ直した作品。
ジェーン・カンピオン・プレゼンツで、脚本・監督はジュリア・リー。
出演はエミリー・ブラウニング、レイチェル・ブレイク、ユアン・レスリー、ピーター・キャロル、クリス・ヘイウッドら。
『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』の美少女、エミリー・ブラウニング目当てでの鑑賞。
あの頃は14~5歳だった彼女も21~2歳くらいになったとはいえ、まだまだ十分に”美少女”で通用するルックスなのだが、本作では下着姿どころか大胆にもオールヌードを披露。
しかも、「挿入以外なら何をしても構わない」というルールの下で眠らされ、何も知らない少女という役どころなので、性的倒錯の嗜好を持つ老人に、全身を撫でられたり舐め回されたりしても身動き一つ出来ないというのだからかなりハードな撮影だったろうに、と思う。
また彼女が華奢な体格なので、余計嗜虐性が高まって見えてしまう。
しかしこの物語は、搾取する側の老人視点だからこそ成立するのだな。
そこで己が人生を振り返り、後悔やら葛藤やらを抱くからこそ”物語”になる。
女性視点にしてしまうと、真実を知った際に知らないうちに自分の身が凌辱されたことを嘆くだろうし、それを許した主催者やシステムに強い憤りを覚えるものの、そこから先へは進まない。
映画も、自らの傍らに寄り添い、眠るが如く死んでいる老人を見つけ、絶叫するヒロインの姿で終わってしまう。
それによって彼女が何らかの成長を遂げるとか、あるいはこの秘密のクラブが白日の下に晒され、法をもって断罪されるということもない。
それで良かったのだろうか。
ちなみルーシー役には元々ミア・ワシコウスカがキャスティングされていたそうだが、彼女だったら作品の雰囲気はどう変わっていただろうか。
【ひとりごと】
小ぶりなバストトップやヘアーなど、ボカシやモザイクなしでエミリー・ブラウニングが全てを曝け出してくれるのは嬉しいのだが(若干痛々しさも感じてしまうが)、彼女と関係を持つ老人たちの股間まで映す必要はあったのだろうか。
ボカシやモザイク以前に、アングルを工夫することでいくらでも隠すことは出来た筈なのだが。