『マン・オブ・スティール』
2025年 03月 04日
まず一本目は「スーパーマン」のリブート作品、『マン・オブ・スティール』。

あるいは『グリーン・ランタン』がヒットしていたら、そちらを起点としたユニバースが構築されていただろうから、やはりこのように辛気臭く悩んでばっかりのスーパーマン像は描かれなかったかな?
そして何よりもクリストファー・ノーランによる<ダークナイト・トリロジー>がヒットしたのみならず、作品としても高く評価されることがなかったならば。
ということでこれまでにも再三書いたと思うが、「スーパーマン」を見たな、という気分にはなかなかさせてくれない「スーパーマン」映画。
クラーク・ケント=スーパーマンが異邦人、もしくは招かれざる来訪者として排除されようとするのも異色ではあるが、無条件に異星人を受け入れる方が現代ではリアリティを欠いているだろう。
ロイス・レインの比重が大きく、カル=エルの秘密もクラークと同時期に知ることになり、クラークがスーパーマンであることも早い段階で受け入れるのも新機軸。
そのためスーパーマンとクラーク・ケントのいわば一人二役の面白さはなくなるが、クラークとロイスを一種の共依存の関係に置いたのも現代的か?
やはり単純に「ヒーローに護られる」というステレオタイプのヒロインは、現代にはそぐわないかも知れない。
そんな中でクラーク=スーパーマンは己の立ち位置を模索し、地球人との関係をどうするかで悩むのだが、例え最初は拒絶されたとしても、ゾッド将軍らを撃退したことで皆の信頼を得、ヒーローとして強く立ち上がる、というパターンであればヒーローの”新創造”の物語として合格点だったろうが、最後まで曖昧にしてしまったことが「スーパーマン」映画らしさを奪ってしまったのだと思う。
尤もそんなあやふやなスーパーマンだったからこそ、ブルース・ウェイン=バットマンは危惧を抱いたのだろうが。
今回久しぶりに見直していて気になったのが、ゾッド将軍の副官ファオラ=ウルを演じていたアンチュ・トラウェ。
以前は”戦士”らしいゴッツイ女優さんだなと思っていたのだけれども、目力が強くて立ち振る舞いが凛としているし、よく見るとなかなかセクシーな女優さん。
ヒーロー物には、やはりこういう人は欠かせない。
【ひとこと】
最後のロイスの台詞「プラネットへようこそ」は、「この惑星(地球)へようこそ」と「デイリー・プラネット社へようこそ」のダブルミーニングかな。
<過去記事>
https://odin2099.exblog.jp/21004378/
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