『海がきこえる』(1993)
2025年 07月 13日
夏休みで高知へ帰省する機内で、拓は親友の松野と一緒に里伽子と初めて会った時のことを思い出す。
高2の夏に転校してきた里伽子は文武両道の美人だったが、他の生徒からは浮いていた。
そんな彼女に松野は惹かれていたが、拓は里伽子とは関りを持つつもりはなかった。
だが修学旅行で訪れたハワイのホテルで、拓は突然里伽子から頼みごとを持ち掛けられる。
スタジオ・ジブリの長編作品では唯一のテレビアニメ。リアルタイムでは見ておらず、後に評判を聞いて興味を持ち出し、『耳をすませば』を見た後で似たような青春ラブストーリーを見たくなってビデオを借りて見たはず(いや、再放送だったか?)。
今回劇場でリバイバル上映をやっていたので、約30年ぶりに再鑑賞。
当時はかなり感情移入して感激しながら見ていて、ジブリで一番好きな作品かも知れない、などと考えていたように記憶しているが、今は少々色褪せて見える。
まず里伽子が凄く嫌な女に感じる。
あんな娘に振り回されたいなどとは到底思えない。
散々彼女に引っ掻き回されて、一時は親友を失いかけながらも何も報われない松野が実に気の毒だ。
この松野という人物が、徹頭徹尾”イイ奴”として描かれているのだから猶更である。
松野に比べると幾分か主人公補正が掛かっているであろう拓は、彼よりは喜怒哀楽を表に出し、里伽子に対しても言いたいことを言う(言わなくてもいいことも言う)キャラクターになっているが、そうであればあるほど里伽子に惹かれる理由がわからない。
そして里伽子。
本人に男を手玉に取ってる感覚はないだろうし、自分の影響力の大きさを理解してもいないし、当然”悪女”を気取っている訳でもなく、ただ短絡的で自分の欲求に正直なだけなのだろうが、結局はこの物語の元凶である。
彼女が転校してこなかったら、この物語の登場人物は平凡だけど穏やかな青春を送れたのではないか。
などなど思うところは色々あるのだけれども、拓にしろ松野にしろ、里伽子のようなタイプの女性にこれまで会ったことがなかっただろうし、理解も出来ない。
そして理解出来ないからこそ気になって、そして段々と好きになっていったのではないかなという気がする。
あ、松野の場合は単に里伽子が美人で、それに一目惚れしただけかもしれないし、幸か不幸か拓ほど彼女の色々な面を見る機会がなかったから、もっと表層的な想いだったかもしれないが。
そしてもし自分が現実に里伽子のような女性と知り合い、他の誰にも見せていない”顔”を見ることがあったなら――彼女に惹かれていく気持ちを抑えられないかも知れない。
それにしてもこの物語の時代背景は、自分の中ではそんなに昔のことではないのだけれども、携帯電話やスマートホンがなく、連絡手段は公衆電話とコードレスじゃない家電のみ。
情報を得るにはもちろんインターネットなどはない、ということが新鮮というか別世界に感じられてしまう。
そのことで却ってこの作品が”名作”として認知され続けているのかもしれない。





