『メガロポリス』(2024)
2026年 05月 12日
21世紀、アメリカ共和国の大都市ニューローマでは、享楽にふける富裕層と苦しい生活を強いられる貧困層の格差が社会問題化していた。市の都市計画局局長を務め、名門クラッスス一族の一員でもある天才建築家カエサル・カティリナは、新都市メガロポリスの開発を推進する。
それは、人々が平等で幸せに暮らせる理想郷(ルビ:ユートピア)だった。
だが、財政難の中で利権に固執する市長のフランクリン・キケロは、カジノ建設を計画し、カエサルと真正面から対立する。
また一族の後継を目論むクローディオ・プルケルの策謀にも巻き込まれ、カエサルは絶体絶命の危機に直面するが─。
…という粗筋で映画の序盤はわかるのだが、後はサッパリ……。
主人公が持っているらしい時間を止める能力というのもサッパリわからないし、奥さん殺しというか、死の真相もわかったようなわかんないような。
そして現実として描写されているであろう場面と、イメージとして挿入されているっぽい場面との境界線も曖昧だし、登場人物たちが何を考えてるかもよくわかんない。
カエサルとキケロ市長は対立関係にあるが、その娘ジュリアはカエサルに興味を持って近づき、やがて恋仲になる。
市長はあの手この手で二人を別れさせようとするが、最後にはカエサルを認める、でいいのかな?
またカエサルの裕福な叔父であるハミルトン・クラッスス3世は彼の後ろ盾になっているが、それを快く思わない従弟のクローディオや、カエサルの愛人だったワウは結託してハミルトンに取り入り、乗っ取りを企むものの逆に粛正される、というお話?
で、何を言いたいのか、どこが面白いのかちっともわからない自分は、まだまだ勉強不足だなあ。
出演はアダム·ドライバー、ジャンカルロ·エスポジート、ナタリー·エマニュエル、オーブリー·プラザ、シャイア·ラブーフ、ジョン·ヴォイト、ローレンス·フィッシュバーン、タリア·シャイア、ジェイソン·シュワルツマン、キャスリン·ハンター、グレース·ヴァンダーウォール、クロエ·ファインマン、そして脚本・製作・監督はフランシス・フォード・コッポラ。





