
1981年春の<東映まんがまつり>で上映された作品で、リアル・タイムで観て以来の
”フェイバリット・ムービー”の一本です。
なにせ映画館に一日中粘って、都合4回か5回観ているくらいですから。
もっともその後は、TV放映の時とビデオが発売された時くらいしか観ていませんので、通算ではようやく二桁に乗るくらいの回数なんですが、多感な時期だったこともあって大いに影響を受けました。
その、想い出の中にそっと仕舞ってあるような作品を引っ張り出してきて、はたしてあの頃と同じように感動出来るのかなぁと思ったのですが……やっぱり好きですね、この作品。
お話はバレエでも有名な、魔法によって白鳥の姿に変えられてしまったオデット姫とジークフリード王子との悲恋モノで、音楽は勿論チャイコフスキーのものが全篇に流れます。
バレエを髣髴とさせる演出も盛り込まれていますし、わざわざウィーン交響楽団を起用して映画で初めてPCMデジタル録音するなど、東映動画(現・東映アニメーション)の創立25周年記念作品ということで力も入っています。
今観ると作画は結構粗くてガッカリもしたのですが、これはひょっとすると完成直前にセル画2500枚が盗まれ、リテイクする羽目になったからかも知れません。
また、クライマックスが1969年の東映動画作品
『長靴をはいた猫』とソックリということがよく指摘されますが、演出が同じ
矢吹公郎なことと、悪役の声を演じているのがどちらも
小池朝雄なことを考えると、これは意図的なものでしょうね。

ただ作品のトーンは全く異なり、コメディである『長靴をはいた猫』に対して、こちらはシリアスなラブ・ストーリーが基本です。
その中で、子どもが対象の<まんがまつり>作品ということからか魔法使いのロードバルドがコミカルに描かれ、また原典にはいないハンスとマルガリータというリスのカップルが狂言回しを務めるという構成になっております。
このリスのカップルはアニメーションの必然からか擬人化されているのですが、ジークフリードやオデットとの意思の疎通をさせなかったのは好判断でしょう。
一生懸命二人のラブ・ロマンスを後押しするべく奮戦するのですが、これでもしジークフリードやオデットと自由に会話をさせていたら、思いっきり子ども向けになっていたでしょうね。
キャストが松金よね子と白石冬美というベテラン・コンビなこともあって、キャラが立っています。
ただ、冷静に見ると作品の出来は、残念ながら凡庸と言わざるを得ません。
ロードバルドの娘”黒鳥”オディール(新境地に挑んだ麻上洋子、好演!)も含めて脇のキャラクターは頑張って盛り上げているのですが、肝心の主人公オデットとジークフリードは没個性で面白みのないキャラクターです。
それでもジークフリードは、声を担当した志垣太郎の熱演もあって”王子様キャラ”としては成り立っていますが、オデットは主体性もなく、流されるだけの人物になっているのは不満ですね。
竹下景子(ファンだったんですけれどね)の起用も疑問が残ります。
そういえば、この前の年の<まんがまつり>の中心は『世界名作童話 森は生きている』だったんですが、こちらも主人公が大竹しのぶに神崎愛という不思議なキャスティングでした(二人とも予想以上に上手かったですが)。
