ゾノとヒデ
2006年 07月 10日
一次リーグで惨敗し、色々と批判の目にさらされたジーコ監督と日本代表メンバーでしたが、川淵キャプテンの失言(?)によるオシム新代表監督の誕生と、それになんといっても中田英選手の現役引退発表のおかげで、かなり中和された感じです。
それにしても中田英は29歳。まだ次のW杯も狙えるポジションですし、勿体無いと同時に、随分思い切った決断だなぁとも思いました。カズやゴンが現役に固執しているのとは対照的です。
そういえば丁度一年位前には、あの前園選手も現役を引退しています。
Jリーグが開幕して以降の俄かサッカー・ファンの自分にとって日本代表というと、後一歩で1994年W杯への出場を逃した”ドーハの悲劇”のメンバーでも、1998年W杯に初出場を決めた”ジョホールバルの歓喜”のメンバーでもなく、実は1996年のアトランタ五輪のメンバーが一番印象的なんですよね。
その時のチームの中心はゾノで、ヒデはその陰に隠れた存在でした。ゾノのおまけのような扱いで、一緒にCMに出ていたこともありましたし。
でもその後は立場が逆転。ヒデが世界に注目されるプレイヤーになっていくのと反比例して、ゾノは居場所を失っていきます。ファンではないんですが、そんなゾノの姿は寂しかったですね。結局その後も輝きを取り戻すことが出来ずに引退。といっても不完全燃焼だったことと思います。
一方のヒデも決して完全燃焼ではなかったはずですが、ボロボロになるまでプレーするのは彼の美学に反するのでしょうね。
そういえばこの世代、川口はまだ健在ですが、小倉や城など一度は燦然と輝きながらも、すぐにその光を失い、二度と輝きを取り戻せない選手が多かった気がします。一体何が原因だったのでしょうか?

いらっしゃいませ。コメント、有難うございます。
小倉選手は怪我でオリンピックにも出られなかったんですよね。
その後も何度も怪我に泣かされたようで。
後の連中は実力もあったと思うし、結束も固かったようですが、
結局A代表には定着出来ず仕舞いでした。
噂では当時のO監督と合わなかったという声もありましたが、
年齢的なことを考えると、今回のA代表だって小倉と城の2トップ、
2列目にゾノとヒデがいたって不思議じゃなかったんだなぁ、としみじみ思ってしまいました。
ゾノと城を見ていると自分を見失わず最後まで第一線でプレーし続けたヒデはやはり凄いと思いますね。
ということで?私は水曜からジュビロサポとしての活動を再開致します(笑)。
掌を返したかのようにヨイショしてるのは何だかなぁ・・・(爆)。
いずれにせよ、Jリーグ発足以後のスターであるヒデの引退で、
一つの時代の区切りが付いたという気がしますね。