映画
『夢のチョコレート工場』及び
『チャーリーとチョコレート工場』の原作本。
旧作は大筋だけ原作をなぞり、途中は幾つか改変しているが(当時の技術的問題もあったのかもしれない)、トータルでは大きくイメージを損なうことはなかった。
これは著者のダール自身が脚色に携わっていたからかもしれないが、もっとも実際の作品は脚本に大きく手を入れられ、激怒していたという話も伝えられている。
一方の新作は、著者の遺族のお墨付きということもあってかなり忠実に原作を映像に置き換えられている。
ところが中盤から原作にはない要素、エピソードが混入し、結局は全く別物のラストを迎えてしまうため、見終わった後では随分イメージがかけ離れたように感じられてしまう。
どちらも原作付き映画のパターンではあるものの、さてどちらの方がこの作品にとって幸せだったのだろうか。
ところで、新作公開に合わせるかのように翻訳を改めた新訳版が出版されたのでそちらを読んだのだけれども、旧訳版を否定し、自分の感性を押し付けるという後書での翻訳家の自画自賛振りには辟易してしまった。
登場人物たちを「チャーリー・バケツ(チャーリー・バケット)」「オーガスタス・ブクブトリー(オーガスタス・グループ)」「イボダラーケ・ショッパー(ヴェルーカ・ソールト)」「バイオレット・アゴストロング(バイオレット・ボウリガード)」「マイク・テレヴィズキー(マイク・ティーヴィー)」「ウンパッパ・ルンパッパ人(ウームパー・ルームパー、一般的にはウンパ・ルンパ)」と名付けるなど色々と工夫したであろうことはお察しするが、翻訳は翻訳であって創作ではない。
子どもに対する親切心なのかもしれないけれども、それが大きなお世話になることだってあるのだ。
それにもう少し
旧訳並びにオリジナルに対する配慮も欲しい。
ということで今は非常に旧訳版が読みたいのだけれども、図書館か古書店を探す以外にないかな。
復刊ドットコムでは、旧版の復刊リクエストが盛り上がっている様子だが、さもありなん。
やっぱり新訳版に不満を持ってる人は少なくないってことですな。
しかもこのお方、映画のパンフレットにも自分の訳にこだわった文章を寄稿しておりまして、これはやはり行き過ぎと言うべきでしょう。