『夢見る雨』 水永牧子

チェンバロのアルバムというだけで興味を惹かれ、ジャケットが綺麗な女性の写真だったので買っちゃった・・・というほど単純でもなかったけれども、大体そんな経緯で手に入れてから早一年。
折に触れ引っ張り出しちゃ聴いているのだけれども、チェンバロという楽器を通して聴くと、どの曲も同じような表情に見えてくるのは何故だろう? チェンバロそのものは色々な顔を持っているのに、バッハからキース・ジャレットまで、奏でられる多種多様なメロディーは、全て一定。逆にいうと、チェンバロは強烈な自己主張をする楽器だということにもなるんだろうか。