太平洋戦争の最中、爆撃機の操縦士である敷井は、ニューギニアのスタンレー山脈を越えようとして果たせなかった航空探険家ファントム・F・ハーロックの著書『スタンレーの魔女』を愛読し、いつの日か自分もスタンレーに挑戦することを夢見ていた。
ある日とうとう念願叶い、ポートモレスビーにある連合国軍基地爆撃に参加することとなった敷井の繰る一式陸攻は、無事にスタンレーを越えた。
だが爆撃の終了後、満身創痍となった彼らは、帰路に再びスタンレーを越えねばならない。
はたして片肺となってしまった機で彼らはスタンレーを越えることが出来るのか――?
松本零士の<
戦場まんがシリーズ(ザ・コクピット)>の一篇、『スタンレーの魔女』が初めて舞台化されるという。
『銀河鉄道999』のような作品だと大掛かりなセットが必要だろうが、このシリーズならば観客のイマジネーションに上手く訴えればそこまでは必要ないだろうし、元が短編作品なだけにボリュームも申し分ない。
その着眼点に唸らされ、SPACENOID(スペースノイド)という演劇集団の公演へ行って来た。

会場は池袋のシアターグリーン。
お寺の境内にある小さな狭い劇場で、隣の人の肩や腕とはぶつかるし、足元は前の座席に座っている人の頭だし、一度座ったら身動きすら出来ないそんな場所だが、場内は満員で熱気に溢れている。
客席には劇団員の知人・友人など関係者と思しき人の姿も散見されるのが、小劇団、小劇場ならでは光景か。
この劇団の存在は全く知らなかったのだが、その活動実績を見る限り、なかなか頑張っているようだ。
原作コミックのストーリーを、というよりも夫々のキャラクターを大きく膨らませることによって、1時間半の舞台劇へと再構成。
その結果主人公である敷井の存在が若干霞んでしまったが、登場人物全てが主人公とも言うべき集団劇としてまとまったのは結果オーライである。
また膨らませたキャラクターに松本零士色は希薄であり、随所にギャグを散りばめた構成も松本カラーとは馴染み難いものではあるが、出演陣の熱演がそれを救っていて、かなり見応えのある芝居になっていた。
仮に次回また<戦場まんがシリーズ>を材に採ることがあれば、是非観に行きたいと思う。
作品そのものからは離れるが、<松本ワールド>において
ファントム・F・ハーロックはかなり重要な存在である。
この作品の中では「家族も友人もいない」と述懐している彼だが、その息子ファントム・F・ハーロックII世は同じ<戦場まんがシリーズ>の『わが青春のアルカディア』の主人公であり、その子孫が宇宙海賊のキャプテンハーロックになるのである。
その宇宙海賊ハーロックの若かりし頃を描いた劇場用作品のタイトルも『わが青春のアルカディア』で、その作品中では『スタンレーの魔女』共々、<戦場まんが>版『わが青春のアルカディア』も映像化され、よりその関係を密接なものにしている。
ちなみに原作漫画版のファントム・F・ハーロックはスタンレーの魔女に破れ、失意のまま著書を執筆しているが、アニメ版では再挑戦したところで終っている(著書が自伝ということは、当然魔女に打ち勝ったことを示唆しているわけだ)。
その方がよりハーロックらしいということだろう。
また今回が初の舞台化ということだが、厳密に言えば1979年に日劇で行われた「
神谷明ショー」の中でキートン山田、中尾隆聖、玄田哲章、水島裕、上田みゆきらを交えて舞台化されたのが最初だろう。