『孔明と卑弥呼』 田中文雄
2008年 02月 07日
歴史の「if」物には大きく分けて二つあると思います。一つは、ありえたかも知れないもう一つの歴史を創造しようという試み。今一つは、所詮「if」の要素を組み入れても史実は変らない、あるいは結果には影響を及ぼさない、というもの。この作品は後者になります。
時期は五丈原の戦いの数年前、既に病を得ていた孔明は、己の寿命がそう長くないことを悟っています。そこへ既に曹操の手に掛かって死んだはずの名医・華佗の幻が現れ、150歳を越えてなお若々しい卑弥呼の姿を映し出して見せ、彼女が不老長寿の秘法を得ていることを教えます。劉禅を漢の正当な後継者として三国の王とするまでは、何としても死ねない。10年、いやせめてあと5年の命が欲しいと切望した孔明は、姜維を総大将、魏延を副大将、倭人との混血児である東翔を通訳兼総大将の補佐役に任命して、一万の兵を二百の軍船に乗せて倭国へと派遣する、というのが発端です。
孔明の宿敵・司馬仲達も何事かに気付いて魏の軍勢を倭国へと動かしますし、倭国も邪馬壹国(こう表記されています)だけでなく、伊都国や敵対する狗奴国の思惑が絡むという、誰が敵で誰が味方なのかわからない込み入った展開を見せます。登場人物が多いので最初のうちは混乱しますが、慣れてくればなかなか楽しめる小説です。
ただ、孔明も卑弥呼も主人公ではありませんし、二人が相見えるというシーンもありませんので、そういった点では題名に偽りありということになってしまうのかも知れませんが・・・。
奥付を見ると1993年3月30日の初版本。出て割りとすぐに買ったものの、そのまんま放りっ放しだったので持っていることさえ忘れていました。蔵書の整理をしていて見つけたのですが、あの頃じゃ今ほど楽しめなかったかも知れません。
なお実際に孔明と卑弥呼が対決するという、もっとトンデモな小説も出ているようですが、読んでみたいようなみたくないような・・・。
150歳の命を欲しがるわけではなく、あと5年・10年というところが孔明らしく表現されてますね。
ちょっと話題が逸れますが、今の世の中「義」が薄くなった感じがしますね。
「三国志」から学ぶものは多いと思うので、読む人が増えるといいんだけどな。
『三国志』って難しいですよね。
劉備が主人公だと思って読むと、なんでこんなに情けないんだろうと思うだろうし、あろうことか途中で退場しちゃいますからね(苦笑)。
一方、孔明が主人公だと思って読むと、なかなか出て来ない(爆)。
「義」に関しては仰るとおりですね。
無視されるか、ともすれば嘲笑の対象にもなりかねない。
嘆かわしいことです。