『未来少年コナン/特別篇~巨大機ギガントの復活!~』(1984)
2008年 07月 22日

中でもクライマックスを盛り上げた(であろう)巨大機ギガントを巡っての一大アクション・シークエンスが、ものの見事にバッサリと切り落とされたことに不満を漏らすファンが決して少なくなかったことは想像に難くありません。
そんなファンの声に応えたつもりなのでしょうか。この2本目の劇場版では、ギガント復活から大団円までの3話分を50分程度にまとめ、補完する役割を担っています。
とはいうものの、曲がりなりにも一本の映画作品として作ろうという姿勢を見せた前作に対して、こちらは物語の発端部分をナレーション込み(何故か小林清志を起用して新録しています)で紹介した後は、いきなりクライマックスへ突入するという無謀さ。ファン以外は完全に置き去りというか、ファンでさえも付いていけない内容ではないでしょうか。それも、何の工夫も無くただ棒繋ぎしているだけという、手抜きとしか言いようがない仕上がり具合はファンを蔑ろにしているとしか思えません。
商業主義といえば聞えはいいかもしれませんが、金儲けの道具としか感じられない扱いに、つくづく『コナン』は不遇な作品だったのだなぁと感じさせられます。名作アニメで名を馳せた製作会社にしては、あまり好い印象は受けませんね。
それにしても、何故この作品が唐突に作られたのかは謎です。
この作品、『超人ロック』の併映作として松竹系で公開された訳ですが、何故『ロック』一本立てではいけなかったのでしょう?
『ロック』だけでは興行的に不安を感じたので、言ってみれば保険やら担保やらの感覚で、同じ製作会社の作品で知名度のある『コナン』を無理矢理担ぎ出すことを、製作側・配給側何れかから提案したのでしょうか。
それとも同日公開となった宮崎駿監督作品『風の谷のナウシカ』へ、肖ろうとしたのでしょうか、或いは対抗しようとしたのでしょうか。
ところでこの物語の発端は、核兵器を超える超磁力兵器による世界大戦で人類は滅亡寸前。僅かに生き残った人々は必死に暮していた・・・というもの。
それから20年経ってコナンたちの冒険が始まるのですが、その戦争が起ったとされるのが「西暦2008年7月」!
・・・あの~、今なんですけれどぉ・・・?
これの前のヤツかな。なんせビデオとかまだない時代でしたので、もう一度コナンが観られるのなら…と友人と連れだって私も劇場版行きました。もちろん「あー、やっぱしこんなもんか」って劇場を出てきましたけど。
本放送、ちょうど修学旅行にぶつかって、宮崎の旅館で14インチのテレビをアニメファン数人で占拠し取り囲んで観たことが忘れられません。
なんと、エクスカリバーさんはコナンをご覧でなかったのですか?不遇だなんて、なんのなんの。
当時の革新的アニメ雑誌『フィルム1/24』や『月刊アニメーション』などでも現場やファンのみんなで落書きしまくってて、「次のファンサービス、何にします?」「めんどくさい、セル画でもつけとけ」「これではまるっきりヤマトではないか!」と自虐的な笑いで達観していたことを思うと、案外作品に対する高くて強い信頼から、映画なんてドーでもいいと思っていた感があります。
だからホントにファンの要望で映画化されたの?ってみんなで顔を見合わせていた記憶もあるほど。
ちなみに今BS11?で再放送してるのを観ていて、やっぱりコナンはこっちやなー、って実感しているところです。

これはビデオで見ましたが、とってつけたような映画でしたね。
コナンは好きだし、あれを映画版へ編集するなんて無謀なことするのは、ファンを冒涜してます。
本放送のDVDを購入してよかったです。
コナンは、ちゃんと26話として見ないと、素晴らしさが分かりませんよ。
『コナン』に関しては、劇場版の項でコメントしていますが、NHKではなかなか再放送されず、ファンの後押しで映画化されたと思ったらズタボロで、民放各局で放送した際にはカットされたり、それでも製作の日本アニメーションは自社の代表作として商売に使う・・・というのは、結構不遇だと思うのですが。送り手側からは、あまり「作品」として大事にされていなかったのかな、と穿った見方をしてしまいます。
スミマセン、お待たせいたしました!(苦笑)
2本の映画を観ただけで、『コナン』を観た気になっちゃいけませんよね。
といってもいきなりDVD揃えるのも無謀かな~と思いますので、先ずはレンタル屋さん通いからかな。

ただ、当時の作画用紙への落書きとかを読んでゆくと、今と違って当時はアニメーター達も作品に対して未練を持ったところで、所詮商魂たくましいプロデューサーとかに利用されるだけだとあきらめていたフシが感じられるんです。宮さんも含めて。
むしろ作品の本当の姿は、作り手とファンの記憶にのみ生きていればいいかな、という悟りというか諦めもあったように思うのですよ。
「哀しいけど、これ、戦争(仕事)なのよね」ぢゃないですけどね。
作り手と受け手に、今ほどのコミュニケーションというのかな、情報のキャッチボールがなかったから、逆に作り手としてはプライドを持って仕事に臨んでいたのかも知れません。