『成吉思汗の秘密』 高木彬光
2008年 10月 19日
病床にある神津が、退屈を持て余し知的ゲームに興じるという”ベッド・ディティクティヴ物”というジャンルに分類される作品で、比類ないその頭脳を駆使して挑むのは、源義経は衣川で死せず、勇躍大陸へ渡って蒙古の大英雄ジンギスカンとなったのかどうか。歴史上稀に見る「一人二役」のトリックは果たして成立するのか否か、ということである。
最初にこの本を読んだのはいつのことだったろうか。
古本屋で見つけて購入したのか、それとも父の蔵書にあったものを借りてきたのかは覚えていないが、角川文庫を手にしたのは小学生の時か、中学生の時分か。
そしてその後で、NHK-FMで放送されていたラジオドラマ版を聴いたと記憶しているが違うか?
それともラジオドラマを聴いた後で文庫を手にとったのか?
――いずれにせよ、ラジオドラマ版の記憶が鮮明に残っているのは確かなことだ。
そして本書も繰り返して読む愛読書の一冊である。
源義経と成吉思汗が同一人物であったかどうかは、おそらく永遠に解けない謎ではないだろうか。今後どちらかに決定的な証拠が発見される可能性も高くはないと思われる。
しかし「一人二役」を肯定する証拠もない代わり、決定的に否定する証拠もない以上想像を働かせる余地はあるわけで、その間隙にロマンを見出す人は後を絶たないだろう。
かくいう自分もその一人で、素人目にも明らかに「一人二役」のトリックが成立し得ないと判断出来るまでは、ロマンを抱き続けたいと思っている。
正直言ってしまえば、本書で語れる推論には門外漢の自分ですら違和感を抱く箇所もないではないし、ことにその結末に至っては思考放棄かとも感じられてしまうのだが、所詮は”小説”である。”学術論文”ではないのだから、目くじらを立てることでもあるまい。
著者はジェセフィン・テイの『時の娘』に触発されて本書を書き上げたとのことだが、生憎と英国史に疎いもので本書ほどは楽しめなかった。
後に同工の『邪馬台国の秘密』をも上梓しているが、専門的になりすぎの感があり、”小説”としての面白さは本書の方が上である。
なお、今回は<新装版>と銘打たれた光文社文庫版を読了したが、「あとがき」の再録の他、「成吉思汗余話」と「お忘れですか?モンゴルに渡った義経です」と題した二本のエッセイ、それに短編「ロンドン塔の判官」も併録。
「ロンドン塔の判官」は、ロンドン塔に収監されたエリザベス王女の裁判に纏わる秘話という趣きの一篇で、これまた興味深い内容になっていた(但し神津恭介のシリーズ物ではなく、純粋に同時代に材を採った歴史小説である)。