『YAMATO2520/VOL.1 明日への希望』
2009年 03月 27日
そんなある日、ナブとライバルのアガの二人は、セイレーン軍の警戒空域ギリギリまでどちらが高く飛べるかを競い合っていた。だがヒートアップした彼らはその一線を越えてしまったため、セイレーンはミサイルを発射。両陣営の緊張は一気に高まってしまう。
セイレーンのパトロールの目を逃れようとしたナブは”地底軍艦”と呼ばれる廃船に逃げ込んだが、この船のコンピューターはまだ生きており、そこでナブはデータディスクを発見。これを使って自分たちの手で船を作り上げようと計画を立て、仲間を集めるのだった。
だがナブたちは知らない。この沈没した廃船こそ、かつての地球連邦軍の旗艦だった第17代宇宙戦艦ヤマトであり、<100年戦争>末期にある重要な任務を携えていたことを・・・。

そのバックボーンに関しては既に「VOL.0」で紹介はされているが、この作品の冒頭でもブローネたちがセイレーン連邦を築くまでの経緯や、地球連邦との対立の要因などが改めて語られている。
従来とはガラリと変わった世界観、松本零士タッチとは大きく異なるキャラクター・デザインなど、およそかつての「ヤマト」を髣髴とさせるものはない。実際、最初に絵を見、粗筋を読み、一部とはいえ動く新ヤマトの姿を見たときも、これがはたして「ヤマト」の名を冠するにたる作品なのだろうかという疑問、不安で一杯だった。
ところが「企画・原作・製作総指揮:西崎義展」のクレジットを見、そして映像を観ているうちに自然と物語の中へ入り込んで行けたのは我ながら驚きだった。素直に「ヤマト」を見たんだ、という気持ちになれたのだが、それは条件反射のようなものなのかも知れない。
「ヤマト」はパート1が全て、あるいは許せるのはせいぜい『さらば』まで、というファンには到底受け入れられない作品だと思うが、『完結編』まで付き合い、更に『オーディーン/光子帆船スターライト』にも「ヤマト」の面影を見てしまうという人ならば一見の価値はある、と申し上げておこう。
沈没した戦艦からデータディスクを抜き取り、自分たちの手でYAMATOを再生し、窮屈な惑星から飛び出そうとする若者たちの姿を捉えてこの第1話は幕を下ろす。
従来のシリーズよりもタップリと時間をかけて描かれた序章、新生「ヤマト」の旅立ちには相応しい一本だ。

何となく、ヤマトじゃないと思ってしまっていて、全く観る気がしなかったこの作品・・・。
とやかく言われながらも「完結編」まで楽しんだのですが・・・。``r(^^;)ポリポリ
ブルーノアは観たんですけどねぇ・・・。
これを「ヤマト」と認めたくないというのはわかりますよ。
最初に見たときは「なんじゃこりゃ」と思いましたもん。
でも『完結編』でオシマイにしたのならば、仮に復活させるのならばこういう形がベターかな、とは思ってました。
「ヤマト」の続きは観たいと思いますが、卑しくも「完結編」を名乗った以上、ストレートな復活は人道的にも(?)許しがたいこと。
もし古代や雪が出てきたとしても、その物語はヤマト抜きじゃなければならない、と考えていたもので。
勿論、本音はオリジナルのヤマトがそのまんま復活してくれた方が嬉しいんですけどね。
そういった折衷案としては、幻に終ったデスラーを主人公にした映画製作というのが、一番理想的だったかも知れません。
お話は直結していて、キャラクターも引き続き出てくるけれども”宇宙戦艦ヤマト”のお話ではない、という形が。