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【徒然なるままに・・・】

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「きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感触を、筆に写してたれにか見せん」(森鴎外『舞姫』) HNは”Excalibur(エクスカリバー)”

2006年 11月 01日 ( 2 )

e0033570_23155889.jpg美人に見とれた男が柱にぶつかったことから連鎖的に起こるドタバタ劇。とても『スーパーマン』とは思えないコミカルなオープニングですが、そのドタバタの中にスーパーマンの活躍を盛り込むなど、日常生活に溶け込んだヒーローを描写していて一見の価値はあり。シリーズも3作目となった余裕の表れでしょうか。
それだけでなく作品全体通してコミカル要素が強すぎるので、スーパーヒーロー映画じゃなくて単なるコメディ映画じゃないか、と毛嫌いする人もいますけれど、それでも結構好きですね、この作品。映画館にTV放映、ビデオでの鑑賞・・・とシリーズ中で一番回数を観ているから愛着があるのも理由かもしれませんけれど。

さて、今回の悪役は大企業の社長です。
最初は人工衛星を操って農作物に打撃を与えたり、タンカーをコントロールして独占しようとしたりで経済的優位を手に入れようと画策しているんですが、それらの計画が悉くスーパーマンに邪魔されると、今度はスーパーマン抹殺に照準を絞ります。
とはいうものの犯罪の天才レックス・ルーサーやクリプトンの3悪人ら前2作の悪役と比べてしまうと如何にも小さい小さい。演じているのがロバート・ボーンなので、なおさら大物感に欠けてしまってます。まぁそれなりに味はありますがねぇ。

そのロバート・ボーン社長と手を組んで、完璧な防御機能を備えたスーパー・コンピューターを作り出すのが、天才プログラマーのリチャード・プライヤー。最初は会社の金をちょろまかしたりしているんですが、社長にその才を見出され、人工クリプトナイト(クリプトナイトとは、消滅してしまったスーパーマンの故郷の惑星の破片が隕石となったもので、スーパーマン最大の弱点なのです)を作り出してスーパーマンを苦しめた挙句、今度はこのコンピューター(これが邦題のサブタイトルにある「電子の要塞」というわけ)を駆使してスーパーマンと対決します。
もっとも最後にはスーパーマンを助けることになる、いわゆる憎めない小悪党という役回りでして、この当時の人気コメディアンのリチャード・プライヤーが前面に出ていることが、良くも悪くも従来のシリーズとの違和感を助長しております。

人工クリプトナイトはスーパーマンの命を奪うまではいかなかったものの、その精神は蝕まれ、人助けは拒否するわ、聖火ランナーの聖火を吹き消すわ、ピサの斜塔を真直ぐにしちゃうわ、悪女の誘惑に簡単に乗っちゃうわ、酒飲んで酔っ払うわ、と実に人間臭いヤツに変貌してしまいます。
しかし「病気なんだよ」との少年の声に我に返ったスーパーマンは善悪の葛藤に苦しめられ、遂には二つに分裂、激しく戦いあうという始末。この時は堕落したスーパーマンに対して、クラーク・ケントが良心を表し、スーパーマンとクラークの対決という形になりますが、文字通り一人二役となったクリストファー・リーブの演技力が存分に楽しめるという趣向です。いや、ホントに演技派だったんですよね、クリストファー・リーブ。ブランドン・ラウス君がこの域に達するのはいつの日か・・・。
これも、ヒーロー物としてはどうなの?という声も聞こえてくるところなんですが、まぁ悪い展開ではないと思いますが。

ところで今回、スーパーマンの永遠の恋人ロイス・レーンは出張旅行ということで、最初と最後にしか出てきません。クラークはクラークで故郷のスモールビルへ帰省し、そこで初恋の人ラナ・ラングと再会、いいムードになります。本作に限っては、ヒロインはロイスではなく、完全にラナです。ロイス役のマーゴット・ギターは一作目から評判悪かったようで、これは今後のシリーズで降板させる伏線か?などとも噂されていましたけれど、はたして真相はどうだったのでしょうね。
ラストではメトロポリスへと出てきたラナが、デイリー・プラネット社で働くことになってロイスに紹介され、次回作以降クラークとロイスの関係にも緊張が走ることを予感させて終るという念の入りよう。クラーク(そしてスーパーマン)を巡ってロイスとラナが恋のさや当て、なんて展開も期待させたのですが、残念ながら権利関係の移転などもあってシリーズは中断。製作体制が一新されたためか、『4』ではこの設定がナシになっていたのは非常に残念でした。
by odin2099 | 2006-11-01 06:02 |  映画感想<サ行> | Trackback(7) | Comments(8)
相変わらず「いじめ」を苦にした生徒の自殺が後を絶たない。
事が起きたとき、先ず最初に学校がやることが「いじめ」の否定だ。
しかし、そんなことはナンセンスである。
狂言で自殺するヤツはいない。
自殺するまで追い込まれた生徒がいる以上、「いじめ」はあったのである。
確かに「いじめ」を客観的に判断することは難しい。
冗談のつもりの軽い一言が、相手を深く傷つけた、そんな経験を持っている人も少なくないだろう。
「いじめ」も同じだ。
自分はからかっているだけのつもりでも、当人は深刻に受け止めてしまっている可能性もある。
それでも「いじめ」は存在したことになるのだ。
まぁ殆どの場合は、悪質な「いじめ」が確かに存在したのだろう、と思う。
未成年者だからといって、許される問題と許されない問題は厳然と存在する。
取り返しの付かないことをしてしまった――
加害者にはしっかりと罪の意識を持って償いをして欲しい。
そのことで一生心に深い傷を負うことになったとしても、冷たいようだがそれは「自業自得」というものだ。
by odin2099 | 2006-11-01 00:02 | 雑感 | Trackback | Comments(4)
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