
ということで、松浦亜弥が”期間限定”4代目麻宮サキを襲名した劇場版が公開されました。
もっとも劇中では”4代目”とは呼ばれておらず、しばらく使われていなかった名前とだけ語られていましたので、他にも麻宮サキを名乗った人物がいたのかもしれません。なにせシリーズが幕を下ろしたのは18年も前のことですから。
監督は深作健太、共演は美勇伝の3人で、中でも石川梨華が”裏の麻宮サキ”とでも呼べるキャラクター秋山レイカに扮して、クライマックスでサキとの壮絶なバトルを繰り広げます。そしてサキをサポートする暗闇機関のエージェントに竹内力、大ボスを窪塚俊介が演じています。
スタッフ、キャストの一新は当然のことながら製作体制も変り、旧作はフジテレビ主体で作られていましたが、今回はテレビ東京やテレビ大阪が加わっているのは、ハロプロ(というよりもアップフロント・エージェンシー)との関係からでしょう。主題歌も松浦亜弥、ではなく藤本美貴とのユニット”GAM”が手掛けていますし。
そんな中で唯一旧作との接点となっているのが長門裕之の出演で、役名は”暗闇警視”。
これは原作版と同じなんですが、TVシリーズ版では”暗闇司令”でしたので、これは同一人物なのか、はてまた似て非なる別人なんでしょうか。
また初代麻宮サキを演じた斉藤由貴が、サキの母親役で特別出演しているのですが、これにはちょっと驚きの仕掛けが・・・。
今回の斉藤由貴の出演には、文字通り”特別出演”以外の意味はないと思っていたのですが、昔はスケバンとして鳴らし、特命刑事だったこともあり、そして名前はサキ・・・とくれば明言はされていないものの、これは初代麻宮サキの後身ということになります。生死不明で伝説と化した初代麻宮サキを、こんな形で引用しては欲しくなかったですね。まぁ百歩譲って、これをパラレルワールド的続編と解釈すれば許せないこともないんですが・・・・・・。
母親の釈放と引き換えに特命刑事となる経緯は原作版に近いものがありますし、孤高の存在でありながら友情には厚いサキの性格や、原作版の海槌麗巳が投影されていると思しい秋山レイカの設定など、意外に真っ当な『スケバン刑事』の映像化となっている部分もありますし、松浦亜弥も石川梨華も好演していますので、プログラム・ピクチャーとしては肩肘張らずに充分楽しめると思います。松浦亜弥=スケバン刑事というのはイメージのギャップを狙ったキャスティングだと思いますし、これは歴代の斉藤由貴、南野陽子、浅香唯に共通していることだと思いますが、ただ松浦亜弥は芝居もアクションも上手すぎて、作品見ている限りでは違和感をあまり感じさせないのが誤算といえば誤算でしょうか。
また石川梨華とは、おそらく互いの役を入れ替えても作品は立派に成立したんじゃないかと思われます。
もっとも旧作の面影は皆無ですし、それだからこそ4代目、シリーズ最新作ではなく、全く独立した作品として作った方が良かったのではないかとは思いましたが。
”期間限定”の謳い文句とは裏腹に、ラストは続編の可能性を残したものでした。劇場版でもTVシリーズでも構いませんので、”新生”スケバン刑事の活躍、まだまだ見せて欲しいものです。

すっかりシリーズとして軌道に乗った「007」シリーズ4作目で、主演は勿論ショーン・コネリー。監督には1、2作目を担当したテレンス・ヤングが復帰している。
元々イオンプロはシリーズ第一作としてこの作品を予定していたそうだが、権利関係のトラブルから『ドクター・ノオ』に変更したという経緯があるが、今回はその権利を持つケビン・マクローリーを共同製作に迎え、無事に映画化の運びとなった。

この作品をシリーズの最高傑作に推す声も少なくないらしいのだが、そんなこんなでどうも納得いかない。

・・・とここまでは良いのですが、それから先はチンプンカンプン。
時系列が若干錯綜していることもあるのですが、何人か出てくる主要な登場人物がどうにも把握出来ないんですね。
それぞれ専門分野を持ち、物語上の役割分担もしっかりされているはずなんですが、読んでいると「あれ、この人は誰だっけ?」、「この人とこの人はどういう関係?」と前のページを繰ることもしばしば。
そして最大の難関、”マンデルブロー集合(M集合)”とやらが出てくると、もうお手上げです。巻末にはクラークによる解説も付いているのですが、それを読んでも何を言っているのか全く理解出来ません。
そこまでいかないまでも
「ここに二つの同じ四面体があります。それぞれの側面は正三角形で、全部で八つあります。どれでも二つの面を合わせたら、新しい立体には、いくつの面ができますか?」
などという問題が出されただけで、もう完全に思考停止。普通の人なら、即座にとまでいかなくても少し考えれば正解を導けるんでしょうかね。自分にはイメージすることすら出来ませんが・・・。
ということで今回も一応は読破、というか最終ページまで辿り着いたものの、頭に中には何も残りませんでした・・・・・・。
遠い遠い国を舞台にしたある空想好きの少年のお話で、少年はある日砂浜に打ち上げられていた小さな魚を助けてあげる。すると魚は人魚になるのだが、他の人にはやはりただの魚にしか見えない。
この国では空想が許されていないため、少年は厳しい取調べを受け、更には考えを矯正させられようとしてしまう。
やがて少年は人魚のことが思い出せなくなり、家に帰されるが、そこにいたのは一匹の魚。
絶望した少年は海へと向かうが、そこで見たものは・・・?
これをファンタジックだと受け取る人も多いだろうが、途中での洗脳シーンなど個人的にはかなりの恐怖感を覚えたものである。
それでもラストシーンの解釈如何にでは多少なりとも救いが残されているということになるだろうか。

容疑者として逮捕されたのは、元警官で今はバーの経営をしているブルース。彼の無実を信じる友人のルー・メイスンは彼の弁護を引き受けたが、状況はブルースに圧倒的に不利だった。
最初に現場に駆けつけた警官で、ブルースの元相棒でメイスンの伯父でもあるハリー・ライマン刑事、市長のビリー・サンシャイン、その秘書官エイミー・ホワイト、カジノを営む実力者エド・フィオーラ、州の賭博委員会の委員長でメイスンの恩師でもあるベス・ハーレル、新聞記者のレイチェル・ファイアストーン等々、様々な人物がメイスンを取り巻く中、カランが有力者に関する「秘密情報ファイル」を隠し持っていたことが判明する。
真犯人の目的はこのファイルにあったのか・・・?
この作品も現役の弁護士によるリーガル・ミステリーだが、2004年のMWA(アメリカ探偵作家クラブ)賞最優秀ペイバーバック賞候補にもなったということである。
だがキャラクターの造型、真犯人の設定も含めて個人的にはあまり楽しめなかった。
物語はミス・リードを誘おうとしているのだけれども、読み手が誤った判断をしたとしてもその後に明かされる真実とやらがスンナリと納得出来るものではないので、やられたというインパクトがないのだ。シリーズ物の2作目か3作目らしいので、その以前の作品を読んでいて作者なり世界観に浸った上でのことならばもっと楽しめたのかも知れないけれど。

関根蔵人によって組織されたこの組織は、治安維持を名目に学生たちに強引な粛清を加えていましたが、唯はこのやり口に反発、故郷の九州へと帰ってしまいます。しかし関根蔵人の真の目的は国家規模のクーデターであり、秘密を知った二人の姉・結花と由真、そして暗闇司令までもが治安局に狙われることになり、ハミダシ者の集団・番外連合と共に立ち向かうことになる、というのが大筋です。
当時のメモを見ると前作よりも楽しめ、かつ『III』の完結編としても、また『スケバン刑事』というシリーズ全体のラストとしても納得出来たと書いてあるのですが、今見るとどうも納得いくものじゃありませんね。クーデターを企てる悪役というのは前作と同じですし、番外連合の設定はどうも『III』からの流れでは違和感があります。もしかするとこのあたりは、幻に終ったパート4用に用意されていた設定だったのかも知れません。
『II』は手放しで喜んでいた原作者も『III』にはご不満タラタラだったそうで、その結果シリーズは終了してしまったのですが、一部で紹介されたパート4用のプロットには、善悪二人の麻宮サキが登場するというものもあり、それが今回の学生刑事、そしてそのリーダーである阿川瞳子の存在に影を落としているように思えます。
またこの阿川瞳子にしろ、関根蔵人にしろ、かなりの裏設定が存在しているのですが、その辺りが劇中では全く語られていないのも、1時間半という短い映画の枠よりもTVシリーズを想定したものだったのかな、という気がしますし。
『II』では南野陽子を、『III』では浅香唯と大西結花をスターダムに伸し上げ、一部で「スクラップ・アイドル再生番組」などと揶揄されもしたこのシリーズでしたが、デビューの頃を知っているだけにこの時期の浅香唯は美人になりすぎて今ひとつ面白みにかけますね。もっと垢抜けない頃の方が可愛く感じたものです。
さて、今回4代目を襲名したのは松浦亜弥。歴代随一のビッグネームの登板ですが、はたしてどうなりますことやら。単発の映画一本きりということでのビッグネーム起用なんでしょうが、本来ならもっとマイナーどころを抜擢し、それをメジャーに育てるのが本来の伝統だという気もしますね。
84歳ということですので決して若すぎるということもないですが、まだまだ元気で力強い芝居を見せて欲しかったものです。
もっとも霊界の伝道師を自認されていた方ですから、ようやく念願の「大霊界」へ旅立たれたのだと考えれば多少は救いがあるでしょうか。
ご冥福をお祈り致します。

ご存知の通りホルストは交響組曲『惑星』を、「火星」「金星」「水星」「木星」「土星」「天王星」「海王星」の七つのパートから作り上げていますが、これは作曲された当時にはまだ「冥王星」が発見されていなかったからです(もっともホルストの存命中に発見されてはいますが、ホルストは追加作曲することはありませんでした)。
その「冥王星」が発見されて70年となる2000年、コリン・マシューズによって「冥王星」が書かれ、今ではこれを含めて全8曲の形式で演奏されることも徐々に増えてきていているようで、今回のラトル/ベルリン・フィル盤も「冥王星」付きの録音となっているのですが、丁度このCDがリリースされる前後に「冥王星」が「惑星」の地位から降格されてしまったのです。
となると今後、せっかく盛り上がってきていた「冥王星」付きで『惑星』を演奏するという機運は一気に沈静化に向うやも知れません。その過渡期に、大物指揮者と超一流のオケによる録音がリリースされたということが、後々大きな意味を持ってくるかも知れませんね。
なお2枚組のこのCD、<アド・アストラ・プロジェクト>として『惑星』を補完する曲をベルリン・フィル縁の作曲家に委嘱、こうして作られた4曲を2枚目に収録しております。
カイヤ・サーリアホの「小惑星4179-トゥータティス」、マティアス・ピンチャー「オシリスに向かって」、マーク=アントニー・ターネイジ「セレス」、そしてブレット・ディーンの「コマロフの墜落」なのですが、残念ながら自分の印象に残るものはありませんでした。これから何十回とCDを聴き込んでいけば(?)耳馴染みするのかも知れませんけれど。
それから20年、地球は今、宇宙警備隊のルーキー、ウルトラマンメビウスが守っていたが、ある日テンペラー星人、ザラブ星人、ガッツ星人、ナックル星人ら宇宙人連合が出現、Uキラーザウルスの封印を解こうとする。星人たちの卑劣な罠に落ちてしまうメビウス。そこへハヤタ、モロボシ・ダン、郷秀樹、そして北斗星司の4人が駆けつけた。今や地球人として暮らしていた4人だったが、このメビウス最大のピンチに最後のエネルギーを使って変身しようとしていたのだ。果たして彼らはメビウスを助け出し、宇宙人連合の野望を打ち砕くことが出来るのか?!
だが宇宙人連合の真の狙いはメビウスではなく、ウルトラ兄弟にあったのだ・・・。

見る前は失礼ながら年齢を重ねた彼らが、今更ウルトラマンを演じることでかえってマイナス・イメージに繋がるんじゃないかと心配していたものだが、実際に映画で見ていると不思議と違和感はなくすんなりと受け容れることが出来た。それにTVシリーズの『ウルトラマンメビウス』は殆ど見ていないのだが、新ヒーローであるメビウスと歴代ウルトラ兄弟たちもごく自然に馴染んでいるようにも感じられた。
ただ、ウルトラ戦士の戦いの場面ではCGIが大幅に導入されているのだが、これが動きが早すぎて非常に見づらい。それにカクカクした動きなど、あたかもゲーム画面を見せられているようで興醒めである。全てをアナログで、とは言わないが、最新技術はポイントを絞って効果的に使うべき。何が何でもとなると、実写映画ではなくアニメーション映画を見せられているような気分になってしまうので、そのあたりはスタッフに再考を願いたい。これは『ウルトラマンゼアス』以降の全ての劇場作品に言えることなのだが。
今回は40周年ということでメビウスとウルトラ6兄弟の共演ということになったが、本来の記念作品であればやはりオール・ウルトラマン物を実現させて欲しかったものだ。『メビウス』が昭和シリーズと地続きという設定ならばせめてレオや80は出して欲しかったし、M78星雲という括りならネオスやセブン21、それにマックスとの共演もありだろう。次回作があるならば今度こそ、と願っているがやはり難しいのだろうか。
また今回は歴代戦士を演じた役者が4人顔を揃え、変身後のみ登場のゾフィーは田中秀幸、タロウには『ウルトラマン物語』でもタロウを演じた石丸博也を起用、これは『メビウス』TV版と共通のキャスティングのようだが、出演が叶わなかったのならばせめて篠田三郎にはタロウの声を当てて欲しかったし、健在ならばゾフィーの声にはオリジナルの浦野光を持ってきて欲しかったものである。ない物ねだりに終始してしまったが、そう思わせるだけの歴史と重みを持つ伝統あるシリーズなのだから。

それにしても19年ぶりになるわけですから、当然スタッフもキャストも総入れ替え。観客だって旧作なんか知らないよという人の方が多いんじゃないかと思えるのですが、ここまで旧作をリスペクトした作品になっているとは思いませんでした。
自分なんかはジョン・ウィリアムズのテーマ曲を使ってくれただけで満足というところなんですが、メイン・テーマ以外にもウィリアムズのメロディを引用していますし、オープニングのタイトルバックも現代的にリニューアルされてはいますがイメージはそのまま。そして何よりも、ストーリーが旧作の続きとなっている点が最大の驚きでした。とりあえずパート3と4は無視されているようですが、1作目と2作目で描かれた事柄は全てがそっくりそのままじゃないものの、似たようなことは起こっているということのようですね。それに旧作からは未使用フッテージを探し出し、故マーロン・ブランドに再びスーパーマンの父親を演じさせるという徹底振り。若い人なんか完全に置き去りにしているようで、なまじ旧作を知っているとこれで大丈夫なのかなと心配にもなります。
――でも、嬉しいですね。

それに主役のブランドン・ラウスがやたらと「クリストファー・リーブの再来」と持ち上げられていますけれど、世間が騒ぐほど似てるとも思えないんですが・・・。もっとも新生スーパーマン役者としては充分に合格点ですので、続編があれば今回は出番の少なかったクラーク・ケントとしての活躍も期待したいですね。スーパーマンとクラーク、両方を演じ分けてこそ真のスーパーマン役者ですから。
それにケイト・ボスワースのロイス・レインも、旧作のマーゴット・キダーよりチャーミング。今回は婚約者とスーパーマンの間で揺れる女心を演じてくれましたが、次回作ではスーパーマン、ロイス、クラークの”三角関係”も見てみたいです。ただ続編の製作は難航しているようです。興行的にはヒットしているので企画はすぐに動き出したようですが、予算面でなかなか思うように行かないようで、このまま頓挫してしまう可能性もあるのだとか。そうなったら勿体無いですねぇ。