「興味はあるけど何から読んだらいいかわかんない」と返信すると、薦められたのがコレ。
で、そのまんま読んだわけで、オレってなんて素直でいいヤツなんだろー(違)。

彼らは僅かな手掛かりから、自分たちの金を取り戻そうとするのだったが・・・?!
タイトルから、徹底的に「陽性な」お話なのかと思いきや、少々影の部分もあり。ということで想像していたのとはちょっと違ったけれど、コン・ゲームとしてはなかなか面白かったですね。
続編もあるみたいだし、そちらも気になる・・・というか、この人も自作は全部関連付けてる人だったよね、確か。最近そういう作家が増えたなぁ。
ま、せっかく薦められたんだから、これを機に他の作品にも手を伸ばして行こうと思います。
気になるといえば、これの映画化作品も。
なんか原作とは随分違うのでファンには不評だという噂を聞いたんだけど、やっぱり自分の目で確かめないとね。
っつーわけで、オススメ、ありがとさんでした♪
辛うじて晩年の「N」、長嶋茂雄選手の姿は当時の後楽園球場で目にしていますし、引退セレモニーもTVの生中継で見ていますが、4番バッターではなく1番や3番を打ち、途中でベンチに下げられる姿の方が記憶に残っています。
一方の「O」、王貞治選手は子供の頃のヒーローでした。

そして現役引退、助監督から巨人軍監督へ。
監督としては思うような結果を残せず、屈辱の解任劇。
しかしそれ以上に驚いたのは、巨人との縁を切ってダイエー・ホークスの監督に就任したこと。
浪人時代の長嶋監督にも太洋ホエールズを初めとして他球団からの監督就任の要請があったようですが、結局は巨人一筋の道を歩みましたが、それとは対照的な姿でした。
しかも就任直後のダイエーでは巨人時代以上の屈辱を味わうことになり、個人的には「王選手は超一流でも、王監督は・・・」などと思ったりもしたものです。
しかしながらここから球団を見事に建て直し、遂にはリーグ制覇、そして日本一へ。
その後も優勝争いに絡む”強いチーム”作りに尽力。WBCで全日本を率い、文字通り”世界の王”になったのも記憶に新しい。
その王監督が、とうとう今シーズン限りでユニフォームを脱ぎました。
「お疲れ様でした」、そして「ありがとう」。
ファンの端くれとしては是非とも伝えたい言葉です。
それにしても野球界のみならずスポーツ界の功労者が一線を退くという一大事件なのに、こういった記念出版物等々があまりに少ない気がするのが残念でなりません。

これまでに2冊ばかり読んでるはずだが、それらがムチャクチャ気に入った、ということでもない。
なのに何となくこの本を買ってしまった。
その上に読んでしまった。
その殆どは目の前を活字が流れていっただけ、という状態だったにもかかわらず、何故か数ページはニヤニヤしながら読んでしまった。
外で、例えば電車の中とかじゃなくて良かった。
どんな奇異な目で見られたか知れたものではない。
場合によっては変質者扱いされていたかも知れない。
ということは、これからは二度とこの人の本を読まない方が良いのかも知れない。
うん、きっとそうだ、そうに違いない。
・・・「哲学」って難しいね。
父親の再婚相手の連れ子(義妹)と「お兄ちゃん」がラブラブになる、というのは王道のパターンなんですよね?よく知らんけど。
”禁断の愛”と言っても「実妹」と違って「義妹」なら禁忌の意識も低いってことなんでしょうかね、コミックにゲームにと根強い人気があります。
この手のジャンルが持て囃されるようになったのは、あだち充の『みゆき』や、アダルトアニメ黎明期の『くりいむレモンパート1 媚・妹・Baby』のヒットからだと思うけれど、それから考えてももう四半世紀。大したもんですねー。

っつーわけで、実行に移さず(笑)、他人に迷惑をかけなければ、ファンタジーとして楽しむ分には良いんじゃないかと思います。肯定はしないけど。
この作品の主人公は高校2年生の男の子で、一ヶ月前にいきなり一つ年下の妹が出来てしまうというシチュエーション。
最初は小悪魔系の妹に振り回されていたお兄ちゃんも、ある切っ掛けで立場が逆転。一転して従順になった妹を今度は自分好みに変えようとするけれども、結局はどっちがどっちを変えたんでしょう?というお話。二人がなんの罪悪感も抱かずにラブラブのまんま終っちゃうのはどうかと思うけど、これもファンタジー、ファンタジー・・・。
あ、タイトルは「まい・いもうと」ではなく、「まい・まい」と読ませるらしい。
今回この手の作品を初めて読んで感じたのは、文体と内容とのギャップ。
というのも、文体は典型的な(ってどういうの?)ライトノベルな訳ですが、内容は内容なので、えー、こりゃどういう年齢層をターゲットにしてるんだろう???と悩んでしまいました(笑)。
この著者は”ジュブナイルポルノ作家”と称しているようですが、その肩書き自体に大いなる矛盾を孕んでる気が・・・・。
てなことを考えてる自分は、やっぱり頭の固い保守派なのかもね(苦笑)。

夫と妻の愛人との丁々発止のやりとりを描いた1972年製作の『探偵<スルース>』を、ハロルド・ピンターの脚本、ケネス・ブラナーの監督でリメイク。オリジナル版では”若い男役”を演じていたケインが、今度はローレンス・オリヴィエが演じていた”作家役”に廻っているのも話題に。
脇役もなく、この二人以外には出演者がいないのも徹底しており、虚実取り混ぜた二人の演技合戦が楽しめる。
地位も名誉も金もあるというケインと、若さと美貌だけが取り柄のロウという対比が見事で、双方が己にない部分を埋める、あるいは否定するために知的なゲームに挑むという構図も面白い。
第1セットはケインが勝ち、第2セットではロウがタイに持ち込み、さて最終セットではどちらに勝利の女神が微笑むか?というのがクライマックスへ至る流れなのだが、そもそもこの前提条件に疑問符が付き、結局は一方は他方の掌で踊らされていただけとも解釈出来る。
ただそれでもラストの意外さというか不可解さが、更に真の勝者がどちらだったのかを曖昧にさせてしまっているのはスッキリしない。オリジナル版ではどうなっているのか、見比べてみたくなる。

元々著者はシナリオライターとして『忍ぶの城』という作品を書き上げ、こちらは映画化の企画も動いているらしいが、それに先駆ける形で小説として書き直したのだという。
そう言われるとキャラクターで運ぶストーリー展開や、テンポの良い会話の応酬など映画向きかなと思える部分もある。
また成田家の家老である正木丹波守、柴崎和泉守、酒巻靭負など成親を取り巻くキャラクターや、対する三成や大谷吉継、長束正家など魅力的な脇役も上手く配されている。
そして歴史モノ、時代小説というジャンル分けから想像される読みにくさとは無縁で、普通ならこの手のジャンルには手を出さないであろう若者層に受け入れられているらしいのも頷ける。おそらく彼らはライトノベル感覚でこの作品を受け止めているのであろう。コミカライズもされているようなので、是非そちらも読んでみたいものだ。
しかしながら、肝心の主人公「のぼう様」の魅力については今ひとつ伝わらない。
捉えどころのなさが成親の持ち味かと思うが、著者自身もその描写には苦慮したのではあるまいか。彼を盛り立てる人物を設定し、その口から語らせようというという魂胆だったのかも知れないが、皆が皆、己が見たい成親像をそれぞれ投影しただけに過ぎず、結局作品を通しての成親像というものは浮かび上がって来なかった。映像作品なら役者の力量で如何様にも見せられるかも知れないが、小説作品としてはこれはちと辛い。
ヒロインの位置に置かれている甲斐姫にしたところで、本来なら彼女単独で主役を張れるだけのポテンシャルを持ってるはずなのに、成親に翻弄されるだけの立場に甘んじているのは気の毒である。つまりは映画のノベライズ、”スケルトン小説”の域に留まった、というのは言いすぎだろうか。
ああ、早く映画で観たい。
所謂”官能小説”です。
ここでは”性愛小説”なんて肩書きが付けられていますけれど、暇つぶしというか気分転換というか、今までだったら手を出さなかったジャンルの小説にも何だか興味が湧いてきました。
これまでこの手のジャンルの作品は、たまたま手にした週刊誌などに載っている連載の一回分を、前後のお話やキャラクター設定など何も知らずに拾い読みする程度だったんですけれど、まとまった一本のお話としてはどんなものなのかなぁと思ってました。なんせ連載だと、毎回毎回見せ場(ではなく「読ませどころ」とでも言うんですかね)があるわけですが、通しで読んだ場合に破綻しないのかなあ、なんて考えていたもんです。もっともこの作品は書下ろしらしいので、構成という点では比較出来ないかもしれませんが。

――というのがカバーに書かれている粗筋ですが、ようするにここでいう「禁愛」とは義理とはいえ姉と弟の関係のことですね。
しかし主人公は34歳、姉は40歳という設定だと、”ファンタジー”としては幾分か無理があるような気もします。しかもお話のキーパーソンは学生時代の同級生だった女性のほう。最後は主人公にとってハッピーな結末を迎えるのはお約束ですが、結局はそれも元同級生の掌で踊らされていたという感じなので、物語の構造だけ見ればかなりのブラック・コメディかも知れません。
まぁ”長編”とは銘打っているもののそれほどの長さがあるわけじゃないので、ちょっとした捻りくらいないとお話が締まらないというのはあるでしょうけど。
それにしてもこの手のジャンル本、初めて本格的に読みましたけど、すごく読みやすいですね。
サラリーマンが手軽に現実逃避出来るというのも必要条件でしょうから、読みにくかったら誰も手に取らないでしょうけれども、もうポイント、ポイントを予め設定し、あとはそこへ読者を運ぶだけ。一つのポイントが終れば次のポイントへ、という具合なので無駄がないんですね。こういうのはプロの技なんだろうなー。
ただそのポイントですが、ある程度の数を用意しなければ読者の興味を持続させられないということから、本筋にはあんまり関係ないものもあります。お話の作り方としては少しずつ引っ張り引っ張りで、クライマックスでドーン!という持って行き方もあるでしょうが、この手のジャンルにはその手法は適さないのでしょう。そういう点では、通しで読むとやっぱり行き当たりばったりな面があるのは仕方ないんでしょうね。
ちなみにこの本、以前は村井一馬名義で『禁愛 タブー』と題されて刊行されていたこともあったようです。

映画を殆ど忠実にトレースしているので、映画を観ていなくても大丈夫!
・・・なワケでもなく、どうせならノベライズ読むよりも映画観て下さい。
あくまでもこの本は、映画を追体験するためのものだと思います。映画では語られなかった裏設定、といったものもありませんし。
ちなみに映画では字幕、吹替ともにアナキン・スカイウォーカーを「スカぴょん」呼ばわりしていたアソーカ・タノですが、このノベライズ版では原版に忠実に「スカイ君(スカイガイ)」。これはこれでちょっとつまらないもんですね。

こちらは「妄想」ではなく「透視術」ということらしいですが、なんだか安直過ぎますねー。
シチュエーションも、かなりムリヤリ感が強いです。
モデルは木口亜矢、助川まりえ、丸居沙矢香、帆足友紀、星野香織、伊藤めぐみ、愛川ゆず季、織部さや、杉澤友香、三島ゆかり、鈴木じゅん、手島優、友希サナ、齊藤夢愛、小林梨沙、林弓束、あいの璃衣、松林菜々見、森田泉美、佐倉知里、大矢真夕、黒沢美怜・・・と、これまた一段も二段も劣る感じ。
さてシリーズ化がなりますかどうか・・・?




槙原敬之が作詞・作曲してCHEMISTRYに提供した『約束の場所』という歌の中にある「夢は時間を裏切らない/時間も夢を決して裏切らない」という歌詞が、松本零士の描いた『銀河鉄道999』の劇中の台詞「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない」の盗用かどうかが争われた例の裁判だ。
結果は
「それぞれの意味は異なり、引用の事実がなければ説明できないほど酷似しているとはいえない」
ということで盗用を否定。
反対に「引用の可能性を指摘したことが名誉棄損にあたる」として賠償命令が・・・?!
いやー、個人的には松本センセの勝訴は間違いないだろうと思っておりました。
ま、そこまでは行かなくても少なくても優位は動かないだろうなと考えていたので、まさか敗訴とはねぇ・・・。
もう10年ぐらい前から使ってるフレーズなのに。
あ、別に松本センセのファンだから肩を持つってことじゃありませんよ。
西崎義展プロデューサーと争った『宇宙戦艦ヤマト』の著作者裁判の時は、明らかに間違いだと思ってたから。
あれを純粋な”松本零士作品”とは呼べないでしょ?やっぱり(苦笑)。